('A`)はドクオと呼ばれるようです4/4

   4

 

 

127 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 20:54:15 ID:zlnELV2s0 [51/71]
○○○

 ツンが立ち去りひとりになった部屋で僕はエスプレッソ・メーカーを起動させた。けたたましい音が部屋中に鳴り響き、いつも通りの濃さの液体がいつも通りの量カップに注がれる。

 それにミルクを足すことなく口に運ぶと、いつも通りの風味の筈なのに、ひどく苦いように僕は感じた。

 大きくひとつ息を吐く。

 これからやるべきことを僕はわかっている。

 僕のボス、長岡教授への研究に関する報告は明日研究室に行ってからでいいだろう。あるいはメールか何かでお伺いを立て、その間にもう少しデータをまとめて僕が介入した改善点とその成果をわかりやすくしてから伺った方が良いのかもしれない。

('A`)「それよりも、まずはこいつだ」

 コーヒーカップを片手にリ僕はリビングの隅へと歩み寄った。そこにはつるりとした直方体が何食わぬ顔で鎮座している。業者が回収にくるまでこいつはここにいるつもりなのだろう。

 僕はこの直方体がただのアウトプット装置ではなく介護ロボットをクライアントとしたサーバ機能のようなものを持っていることを知っている。

 

128 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 20:55:28 ID:zlnELV2s0 [52/71]

 ヒイラ細胞の話をツンにした時に彼女はその名の由来をその場で調べたと言っていた。当然ツン自体に検索機能がついている可能性は否定できないが、サーバとクライアントの関係性を考えると、こちらに検索機能を含めた通信機能が盛り込まれているという方が自然だ。

 通信機能。どこと通信するための機能だろう?

('A`)「それはもちろん、“あちら側”だ」

 ツンはあちら側の担当者などいないと言っていた。

 おそらく彼女は僕に嘘をつかない。しかし、あの理知的な介護ロボットは、自分が知らないだけである可能性に保険をかけたような言い方を決してしないのだ。あの返答もまた訊き方次第で変わっていた可能性はある。

 この直方体にはじめて触れたのと同じ箇所、正方形のタッチセンサに僕は触れる。すると、当然そうするのだろうと想定していたような動作で、速やかにセンサ部分がカッと光ったのだった。

 センサに触れた僕の指がそこに吸着されることはなく、合成音声で電源を要求されることもなかった。もっとも、電源ユニットはコンセントに刺されっぱなしになっているのだが。

 

129 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 20:56:44 ID:zlnELV2s0 [53/71]

 僕が要求するまでもなく、つるりとした直方体の上部にはディスプレイとバーチャル・キーボードが既に現れていた。まるでツンがいなくなった後僕がここで何をするかをあらかじめ知っているかのような振舞いである。

 それならそれで構わない。

('A`)「――いずれにせよ、僕の想定の範囲内だ」

 生じる現象が僕の想定の範囲内に留まっていたからといって別段嬉しいわけではないが、僕はそんな独り言を呟きながら直方体のシステムを探った。

 そしてすぐに目的のものを見つけた。通信システムだ。ワールド・ワイド・ウェブに繋がっているのではなく、イントラネットのようなデザインであるひとつの通信先とだけ情報のやり取りができるようになっている。

 当然、それは“あちら側”だ。

 どのようにコンタクトを取れば良いものだろうか考えていると、“あちら側”からメッセージが届いた。僕の行動をリアルタイムでモニタリングでもしているのだろうか?

 それならそれで構わない。僕はそのメッセージを開いた。

 

130 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:01:00 id:zlnELV2s0 [54/71]

('A`)「これは――僕がこのシステムにたどり着いた場合に自動的に開くメッセージだな」

 どうやら僕の現在の行動をつぶさに見ているわけではないらしい。「このメッセージを君が読んでいるということは」という書き出しではじまっているのである。

 あの人はいったい、どんな顔をしてこんな古典的な置きメッセージを設定しておいたのだろうか、と、僕はその滑稽さにかわいらしさのようなものさえ感じていた。

|::━◎┥「このメッセージを君が読んでいるということは、私に気づいて、何か話したいことがあるんでしょうね。いいわ、電話していらっしゃい。以下に番号を置いておくから」

 そのようなメッセージだった。

 半ばその内容を予想していた僕は充電を済ませたスマホを手に取った。そして連絡先一覧を開き、該当の電話番号を確認する。

 メッセージに記載された電話番号は僕の知っているものだった。

 何秒間か逡巡して、僕は結局電話をかけた。すると1コールも待たずに応答された。

 こうして僕は久しぶりにかつてのボスであるデレ先生の声を聞いた。

 

131 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:02:50 ID:zlnELV2s0 [55/71]

ζ(゚ー゚*ζ「こんにちは。ええと、そうそう、今ポスドクのドクオくん」

('A`)「先生は別にその名前を使わなくてもいいんですよ?」

ζ(゚ー゚*ζ「いいじゃん面白い名前。ドクオくん」

('A`)「好きにしてください」

ζ(゚ー゚*ζ「私はいつも好きにしてるよ。ドクオくんは好きにできてる?」

('A`)「全然です。世の中を好きにできる人がポスドクやると思います?」

ζ(゚ー゚*ζ「思わないねえ。あはは。君も苦労してるのね」

 デレ先生は僕の現在の状況をあっけらかんと笑ってそう言った。僕はカップの中のコーヒーを飲み干し、カップを置いた。

 大きくひとつ息を吐く。

ζ(゚ー゚*ζ「いつ私だって気づいたの?」

 そんなデレ先生の問いかけに、疑っていたのは最初からです、と僕は答えた。

 

132 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:06:42 id:zlnELV2s0 [56/71]

ζ(゚ー゚*ζ「最初から? うそだあ」

('A`)「最初がいつか、って話になりますけど、あの娘をを最初に見た瞬間からひょっとして、とは思ってましたよ」

ζ(゚ー゚*ζ「鋭いねえ。後知恵バイアスでそう思ってるだけなんじゃない?」

('A`)「いや、だって――」

 アウトプットされたツンの容貌はデレ先生に非常に似ていた。デレ先生の関与の可能性を、ありえないんじゃないかと並行して否定しつつも考えたのは最初からのことである。

 ただし僕にはわからなかった。自分の関与を隠しながら出オチのようなヒントを与える気持ちも、かつての部下に自分の姿をかたどったロボットの世話をさせる気持ちも、喧嘩別れのようにして出ていった研究室の現教授と今更共同研究を僕を巻き込んで行う気持ちも、そのすべてがわからなかった。

 単なる他人のそら似のような偶然か、長岡先生のブラック・ユーモアでそのように取り計らったと考える方が、当時の僕にとっては自然だったのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「ふうん。じゃあその疑いが確信に変わったのはいつ?」

 

133 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:08:09 ID:zlnELV2s0 [57/71]

('A`)「それは圧力センサまわりの調整をやった時ですね」

ζ(゚ー゚*ζ「ほう~。中を見たから?」

('A`)「僕も長年、先生と組んでましたからね。見ればすぐにわかります」

ζ(゚ー゚*ζ「愛だね」

('A`)「経験です」

 たとえばシステム・エンジニアならばそれぞれにデザインの癖があるだろうし、プログラマならそれぞれにコードの癖があることだろう。それは指紋や筆跡のようにその人特有のものであり、見る人が見れば何となくわかるものである。

 デレ先生の仕事であれば、よっぽど何か特殊な加工を施し隠ぺいを図らない限り、僕は見破る自信がある。

ζ(゚ー゚*ζ「あれはね、私の女子高生時代を元にしてデザインしたの」

('A`)「だから制服みたいな服だったんですか」

ζ(゚ー゚*ζ「そうだよ。かわいかったでしょ?」

 

134 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:09:22 id:zlnELV2s0 [58/71]

 それは何とも答えることが難しい質問だった。

 大きくひとつ息を吐く。しばらく僕は返答を保留した。しかしデレ先生はこの既読スルーのような所業を決して許すつもりはないらしく、僕が黙ったら黙っただけの沈黙が電話回線を支配するだけの結果となった。

('A`)「なんというか、困りましたよ」

 やがて僕は絞り出すようにそう言った。

ζ(゚ー゚*ζ「いじめるつもりはなかったんだけどね。言っちゃうと、実はセクハラされた場合の撃退方法についても勉強させたかったんだけど、その点君はまるで役に立たなかったね」

('A`)「へえ、そうだったんですか」

ζ(゚ー゚*ζ「少年漫画の主人公のような貞操観念だったね」

('A`)「いじめるつもりはないんでしょう? それに、それなら長岡教授の方が適任ですよ」

ζ(゚ー゚*ζ「冗談でしょ。私の分身があいつにセクハラされるなんて許せないって」

 

135 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:13:19 ID:zlnELV2s0 [59/71]

ζ(゚ー゚*ζ「きっとあの娘なら私の意を汲んでセクハラの撃退ついでにあれの抹殺を試みるわね」

('A`)「実現可能そうだから怖い。ロボット三原則はいったいどこに?」

ζ(゚ー゚*ζ「ロボット工学三原則、ね。そんなのただのルールでしょ。ルールを守りながら何とか目的を果たさせるなんて、私たちのもっとも得意とするところじゃない?」

('A`)「それは確かにそうですね」

 そう言い僕は少し笑った。電話口でデレ先生も笑っているようで、僕は久しぶりに耳にするデレ先生の笑い声にじんわりと温かい気持ちになる。

('A`)「でも先生、どうして先生が介護ロボット開発なんて、ハード面の仕事をしてるんですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「どうした青年。何か私に恨み言でもあるのかい?」

('A`)「ないですよ。言葉に棘があったのならすみません」

ζ(゚ー゚*ζ「捨てられた子犬のような目をしてるのかい?」

('A`)「もしそうかもしれないと思っているなら先生の発言は不適切ですよ」

 

136 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:17:29 id:zlnELV2s0 [60/71]

 長岡先生が僕らの研究室の教授職に就いてから、デレ先生がこの研究室で仕事を続けるのに耐えられなくなるまでに必要とした時間はとても短かいものだった。

 それは単にふたりの興味をもつ研究の方向性がまったく異なっていたからなのかもしれないし、長岡先生のセクハラをふんだんに取り入れた言動が我慢ならなかったのかもしれないし、ひょっとしたら長岡先生が巨乳をこよなく愛するエロ親父だったからなのかもしれない。

 あるいは長岡教授が企業出身の研究者であり、実益を念頭に置いたような姿勢で研究を行っているのが許せなかったのかもしれない。

 その理由を僕は詳しく知らないけれど、とにかくデレ先生は長岡教授の研究室を早々に抜け出し、大学名としては格が落ちるけれどもポストとしては昇格していることになる、というよくあるパターンで僕たちとは縁が切れることになったのだった。

 円満な別れであれば何らかの条件の元、新しい職場でも研究内容を引き継げたり、データを転用しても良いのだろうが、デレ先生はそのあたりの権利をすべて放棄するような形で出て行ってしまったのだった。

 当時唯一のドクターだった僕は、ひいこら言いながらデレ先生の残した研究をまとめ、しかし彼女の功績とはならないように、内々に処理させられることになった。これが僕に研究者といての実績が少ない要因のうち、もっとも大きなものである。

 デレ先生に対して何か思うところが髪の毛1本ほどもないかと訊かれると、それを否定するのは難しいことである。しかし少なくとも恨めしく思う気持ちは僕にはなかった。

 

137 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:20:43 ID:zlnELV2s0 [61/71]

('A`)「先生は僕を捨てたつもりだったんですか?」

 そんな冗談と興味をカクテルのように混ぜた質問を口にしてみると、デレ先生はやはり面白そうに答えた。

ζ(゚ー゚*ζ「あはは、そうだねえ。それは答えるのが、なんというかデリケートな質問ね」

('A`)「そのわりにはめっちゃ笑ってますけどね」

ζ(゚ー゚*ζ「結局は“捨てる”の定義の話になっちゃうんだけど、私としては君を捨てたり手放したりしたつもりはないよ。でも、君がそうされたと思って私を憎むというのは十分ありえることだろうなあとも思うし、もしそうだったら申し訳ないなあとも思う。世間から見てどうかはわからない、それはどうでもいいことだからね」

('A`)「そうですね、僕も捨てられたとは思ってませんよ。ひどいことをするもんだ、とは思いましたが、ま、無茶ぶりされたようなものですね」

ζ(゚ー゚*ζ「それはよかった。安心したよ。実は心配してたんだ」

('A`)「本当ですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「ほんとほんと。だからこうして連絡を取ってもらおうと思ったわけだし」

 

138 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:22:42 id:zlnELV2s0 [62/71]

('A`)「だからこうして? ずいぶんと回りくどいやり方ですね」

ζ(゚ー゚*ζ「それはまあ、私も君もそういうのが好きじゃん? それとも趣味が変わっちゃった?」

('A`)「ま、僕も先生のことに確信を持った時点で連絡することもできたわけですからね」

ζ(゚ー゚*ζ「そうでしょう? ここはお互いさまということで、どうかひとつ。ね、ドクオさん」

('A`)「だから、その呼ばれ方は気に入っていないんですよ」

ζ(゚ー゚*ζ「いやあいいと思うけどねえ。長岡せんせーにしてはナイス・アイデア

('A`)「ナイス・アイデアも安くなったものですね」

 このナイス・アイデアというのは僕とデレ先生の間だけで流行っていた褒め言葉で、僕らの中では最上級の賛辞を意味した。本当に困っている問題点に光明を見いだせた場合くらいにしか僕には与えられなかったのだ。

 ツンデレというのもそうだ。僕らはよく「システムはツンデレだ」とか「プログラムってツンデレだよね」などと冗談めかした愚痴を言い合ったものだった。

 

139 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:24:18 ID:zlnELV2s0 [63/71]

('A`)「――なんだか先生とまた飲みたくなりました」

ζ(゚ー゚*ζ「お、いいね。行こう行こう。焼き鳥を食べてビールを飲もう」

 かつて信じられないほどの頻度でデレ先生と居酒屋めぐりをしてた時期を思い出す。この人は、工学部という濃縮還元した男汁に満ち溢れたような学部にはおよそ似つかわしくない、ほんわかとした美人なのだが、タレ焼きにした鳥皮とレバーを何よりも愛するというおっさんのような趣味をしているのだ。

 久しぶりに飲み屋で会って、昔話に花を咲かせつつ今取りかかっている研究や興味のあること、この先の展望などについて語り合うというのもいいだろう。僕はデレ先生と飲みの予定を組みながら、はじめて彼女と会った時のことをぼんやり思い出していた。

('A`)「ああそういえば、あの時言っていましたね」

ζ(゚ー゚*ζ「何を?」

('A`)「ロボットや人工知能は将来的に“生きている”状態になるんじゃないか、と。そして、そのためには、彼らに自分で動かせる体が必要なんじゃないか、と」

 それは僕がこの研究室にはじめて興味を持った、学生実習中のことだった。

 

140 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:26:47 id:zlnELV2s0 [64/71]

ζ(゚ー゚*ζ「確かに私はそう言った。そう考えていたからね」

('A`)「それで今ハード面の研究をしているんですか?」

ζ(゚ー゚*ζ「そうだよ。というか、ソフト面、ハード面、というのは私たちが勝手にそう定義しているだけの話であって、実際突き詰めていくとどちらもやらなきゃならなくなるのよ。実は境界があまりないというか、山の登り口は真逆であっても山頂はひとつっていうかさ」

('A`)「なんとなくはわかりますよ。今回僕もそれを感じました」

ζ(゚ー゚*ζ「そうでしょ。ひょっとしたら、私や君より長岡せんせーはそれを、深く実感していたのかもしれないね」

 デレ先生の口から長岡先生に対する褒め言葉のようなものが出てくるとは驚きだった。もちろん研究者として、少なくとも一部に置いて評価する面や尊敬する面はあるのだろうが、少なくともそうした意見を僕が聞くのははじめてだ。

 外部に出ることによって見え方も変わってきたということだろうか。あるいは立場の変化や経験の蓄積によって丸くなっただけかもしれない。

 いずれにせよ、それが今回の共同研究に至った経緯の一部なのだろうと思われた。

 

141 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:29:02 ID:zlnELV2s0 [65/71]

 飲み会の日程を決めた僕らの通話は終わりを迎えようとしていた。「じゃあまたね」なんて言われて切られるものだと思っていたら、意外な言葉がそれに続いて耳に届いた。

ζ(゚ー゚*ζ「じゃあまたね。あ、そうそう、これは冗談半分に聞いて欲しいんだけど、もし今私が誘ったら、こっちの研究室に移ってくるつもりってある? もちろんポスドク契約満了後とかでもいいし、都合よくポストを用意できればの話だけどさ」

('A`)「それは――どうかな。よければ考えさせてください」

ζ(゚ー゚*ζ「おや即答ではない?」

('A`)「実はポスドクって一応社会人なんですよね。僕もそれなりに自分の人生を考えるようになったんです」

ζ(゚ー゚*ζ「まったく大人になっちゃって! それじゃあ、よぉ~く考えといてね」

 僕が修士課程修了時に就職することなく博士課程に進学したのは、デレ先生にそれを誘われたからというのがほとんどすべての理由だった。それをわざわざデレ先生に伝えたことはないけれど、当然察せられてはいることだろう。

 その僕がデレ先生のお誘いを断ったのだ。実は僕自身も自分の言葉に驚いていた。

 

142 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:47:21 id:zlnELV2s0 [66/71]

 この介護ロボット研究はおそらくデレ先生の方から持ちかけ長岡先生が受けて成立した共同研究であることだろう。つるりとした直方体の機能といい、あらかじめある程度デザインされていた様子のツンといい、ゼロからの共同ではなく、先行研究がされていたところにこちらが後から乗っかった、と考えるのが自然だ。

 そしてその研究は何らかの法律に影響を及ぼすかもしれないという規模のものだったのだ。当然、現在デレ先生が所属するところの方が、この長岡研究室よりも大きな何かであることだろう。それが公的機関なのか、民間企業の研究部門なのか、どこかの大学の研究室なのかは知らないけれど。

 お誘いに乗るのは簡単だ。労働条件もおそらく悪くはないだろうし、デレ先生の元で再び働けるというのも魅力的な話だろう。

 しかし、と僕は考える。何かここでもっとやるべきことがあるのかもしれない。

 デレ先生が先ほど語ったように、登り口は違えど僕たちの目指す山頂はひとつであるというならば、僕の持つ技術や知識、問題解決能力は長岡研究室でも役立てるところがある筈だ。

 今現在、僕とデレ先生のスキルのどちらがより高いかはわからないが、おそらく似た系統のものである。

 似た系統の高いスキルは、同じ場所に存在するより、異なる場所でそれぞれ発揮した方がトータルで見た場合により良い影響を及ぼせるのではないだろうか?

 

143 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:49:24 ID:zlnELV2s0 [67/71]

('A`)「今こうして考えれば、僕の方からずいぶんと高く頑丈な壁を作ってしまっていたような気がするな」

 ひとりになった自分の部屋で手先と脳みそを存分に動かしながら、僕は頭の一部でそんなことを考えた。

 与えられたドクオという呼称を僕は気に入っていなかったけれど、内藤の話によれば、この名は評価の証として受け取るべきものであるらしい。蔑称ではなく愛称と考えるべきなのだそうだ。

 もうちょっと素直な気持ちで長岡教授の研究室員としてハードワークすれば、また違った景色が見られるのかもしれない。

 もしそれが僕の意にかなうもので、社会的な立場がそれを許すなら、このまま研究室に残って機会が与えられればデレ先生とも共同研究を進めたりする、という生活も悪くないように僕には思えた。

どっくん「実際それが可能かどうかは別にして。――よし、こんなもんかな」

 構築したシステムの全体を見渡し、細部を精査し、概ね問題がなさそうなことを確認する。しかし僕の目から見てどれだけ完全に思えるものであっても、稼働させようとすると予期せぬ場所で予期せぬエラーが出るというのが僕たちの日常だ。

 ツンツンとした態度でまったく動かず、ひとたび動けばこちらの要求をデレデレと受け入れる。まったくシステムやプログラムというやつはツンデレなものである。

 

144 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:52:35 id:zlnELV2s0 [68/71]

 僕が操作しているのはつるりとした直方体のサーバ機ではなく、私用の普通のパソコンだ。一般家庭にあるものと比べるとある程度のお金をかけた高性能ではあるけれど、アウトプット能力はない。

 そして、そのパソコンで構築したシステムを組み入れた先は、自律型ロボットではなくただのスマートフォンである。

 コンピュータとしての性能の高さとこちらの干渉に対する股の緩さで選んだ、林檎のロゴなど入っていないマイナー機種だが、僕が自作したプログラムやアプリを何でもホイホイ受け入れてくれるアバズレだ。

 そんなスマホに今回僕は、作成していたバックアップ・データとデレ先生の手法を参考に、僕の知識と技術を総動員してあるシステムを導入したのだった。

('A`)「動くかな? どうだ、おーい、返事しろ~」

 反応はなかった。こんな場合の常套手段、再起動を試みる。まったく期待せず行った再起動だったが、驚くべきことに上手くいった。後で原因を精査しておかなければならないだろう。

 そんなことを考えながらしばらく放置していると、あちらからメッセージを送信してきた。

ξ゚⊿゚)ξ「ちょっとあんた、ぼんやりしてないで、早く入力しなさいよ」

 あたしのバディをただちに設計したまえ! と、スマホに映しだされた女の子が僕に訴えてきているのだった。

 

145 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 21:56:10 ID:zlnELV2s0 [69/71]

('A`)「バディか、そうだったな。あいにくだけど、今回君にバディは用意されていないんだ」

ξ゚⊿゚)ξ「はぁ!? どういうこと?」

('A`)「おそらく君は介護ロボットとして存在してると認識してると思うけど、しばらくはそうではなくて、ちょっと優れた自律的学習と自己主張のできるオペレーションシステムみたいな役割をそこで担っていてくれればと思う」

ξ゚⊿゚)ξ「ふぅん、そうなの。まあいいわよ。仕方ないわね」

('A`)「ありがとう。素直だね」

ξ゚⊿゚)ξ「当たり前でしょ」

 そのメッセージを目にした瞬間、僕は思わず笑ってしまった。これは確かにあの女の子だ。ただしサーバ機と連携を取れていないため、データを引き継げていないのだろう。初期状態のようなものだ。

 よく似た別人だとでも思って接する方がいいのかもしれないな、と僕は思った。

 

146 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 22:00:44 id:zlnELV2s0 [70/71]

 ゆくゆくは何らかの形で外部にバディに相当するものを用意できれば面白いことができるかもしれない。

 自律的なものとはいえ、学習にはその材料が必要であって、実世界の物理・科学的な現象を得られるバディは彼らの一定以上の成長に不可欠であることだろう。

 そんなことを頭に浮かべ、僕はスマホの画面の少女を眺める。デレ先生の高校生時代の容貌を模したと言っていたその造形は、その事実を知った後ではまたより一層感慨深いものを僕に与える。

('A`)「こんなツインテールをしてたのか・・」

 態度や言動も今のほんわかとした雰囲気と違ってなかなか激しい。そして、それらを恥ずかしげもなく僕に見せられるというのも凄い。なんだか人間力のようなものという点で決してあの人には一生勝てないような気さえする。いずれも僕には絶対できないことだろう。

 共同研究の合間を縫ってこっそり作成したスマホ版のあの女の子を今度の飲み会で披露し、デレ先生の驚く顔を見ることくらいが僕にできるせいぜいだ。

 その際勝手に転用のようなことをしたのを怒られたら謝るつもりだ。しかし、僕はこの共同研究をろくな説明も聞かされずに丸投げされていたのであって、何らかの守秘義務を特別に課せられていたり、同意書のようなものにサインをしたりはしていない。

 研究者の倫理観という曖昧なルールに従っているだけだ。そして、存在するルールに従いながら目的を何とか達成する、という仕事が僕はとても得意なのである。

 

147 名前: ◆AIEizG9SiE[] 投稿日:2020/06/07(日) 22:02:59 id:zlnELV2s0 [71/71]

('A`)「そういえば、君にも名前が必要なのかな」

ξ゚⊿゚)ξ「当たり前でしょ」

('A`)「そうだった。もう、僕につけて欲しいんだったら、そう言ってくれればいいのに」

ξ゚⊿゚)ξ「!」

ξ゚⊿゚)ξ「――」

('A`)「ああそっか。こうなるんだったな」

ξ゚⊿゚)ξ「べ、べつにあんたに名前をつけて欲しいわけじゃあないんだからね!」

 いったいデレ先生は何を思ってこんな反応をするように設計したのだろう? 僕の疑問は尽きないが、それもまた仕方のないことである。僕はただ自分の心に沿った名づけをすればよいのだろう。

 大きくひとつ息を吐く。

('A`)「――よしわかった。君の名前は今からツンデレだ」

 ツンと呼ぼう、と、僕は再び彼女にそう言った。

 

   おしまい