('A`)はドクオと呼ばれるようです2/4

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57 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 21:52:28 ID:5dySaMLE0 [56/73]
○○○

 目覚めるとベッドサイドに介護ロボットは鎮座しておらず、すわ夢だったかと現実逃避に近い連想をしたものだったが、洗面所に向かう途中でどうやらそうではないことが僕にはわかった。キッチンに立っていたのだ。朝食の支度をしているらしい。

 横目にその様子を伺うと、99%の精度でのキッチン仕事にそれほど難儀しているようには見えなかった。

('A`)「まあ僕も口の中を擦られるのでもなければミリ単位のずれなんてどうでもいいしな。意外と日常生活に問題はないのかもしれない」

 そんなことを声にならない範囲で呟いていると、ツンの上半身が腰を中心にぐいんと回転し、きわめて非日常的な動作で彼女は僕を正面に見据えた。

ξ゚⊿゚)ξ「おはよう。よく眠れた?」

('A`)「おかげさまで」

 僕がツンにそう言うと、彼女は再び上半身をぐいんと回転させ、キッチン仕事を再開させた。仮にツンのバディがきわめてシンプルなものでなかったら恐ろしい光景だったことだろう。

 

58 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 21:53:19 ID:5dySaMLE0 [57/73]

 朝食を済ませた僕は、口内に疼痛を抱えながら研究室に顔を出すことにした。

ξ゚⊿゚)ξ「あたしの開発が今のあんたの課題じゃないんだ?」

('A`)「それは確かにそうだけど、僕の仕事はそれだけじゃあないんだ。この研究は昨日いきなり言い渡されたものだから、ろくに他の都合の調整もできてないしね」

ξ゚⊿゚)ξ「いってらっしゃい。ご飯はどうする?」

('A`)「何時に帰るかわからないから用意はしておかなくていい」

ξ゚⊿゚)ξ「おーけい。やっぱり欲しくなったら連絡してね」

('A`)「連絡。どうやって?」

 そんな僕の素朴な疑問に答えることなく、ツンは円柱の胴体部分を胸を張るようにして僕に見せた。僕はそのシンプルなバディに胸部ディスプレイのようなものがあるのに気がついた。

 

59 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 21:54:59 ID:5dySaMLE0 [58/73]

('A`)「これは・・QRコード?」

 そのディスプレイに二次元コードが表示されている。僕は反射的にポケットの中のスマホを触った。

ξ゚⊿゚)ξ「友だち追加をしてごらんなさい」

('A`)「うわ本当に出てくる」

 言われるがままにスマホを操作した僕は驚きながらにそう言った。頭部だけはハイクオリティなロボットが、自撮り風のアイコンでアカウントを持っているのだ。

 おそるおそるスタンプをひとつ送ってみると、即座に返信が送られてきた。この反応速度は彼女がロボットだからなのか、女の子型だからなのかは僕にはあずかり知らないことである。

ξ゚⊿゚)ξ「遅刻するんじゃないの? さっさと行ったら」

 追加の質問は受け付けられず、僕は追い出されるように出勤した。

 

60 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 21:56:10 ID:5dySaMLE0 [59/73]

( ^ω^)「おはようございますお~」

('A`)「おはよ」

 隣の席のナイスガイと朝の挨拶を言い交す。最後に彼に会ったのは昨日のことの筈なのだけれど、ひどく時間が経っているように思われた。

 それだけツンの存在が大きなインパクトだったのだろう。僕は口内の痛む部位を舌で押し、ロボット工学研究室のエース研究者である後輩を眺める。

( ^ω^)「な・・なんですお?」

('A`)「いや別に。お前は凄いなと思ってさ」

(:^ω^)「な・・なんですお?」

 こちらとしては素直に褒めたつもりなのに、彼はよりいぶかしげな顔を僕に向けたのだった。

 

61 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 21:58:04 ID:5dySaMLE0 [60/73]

('A`)「正直お前に相談したいところなんだけど、かつて直属の上だったというプライドが邪魔して、それを切り出せないでいるんだよ」

( ^ω^)「それは困ったことですお。十分切り出しているという点を除いては」

('A`)「どうしたらいいと思う?」

( ^ω^)「この面倒くさいやり取りを今すぐやめて、素直に相談したらいいのではないかと思いますお」

('A`)「なるほど。僕も同意見だ。面倒くさい先輩ですまんね」

( ^ω^)「いえいえ、そこも同意見ですお。それで、一体どうしましたお?」

 介護ロボ実験のことですかお、と、その理解不能な語尾を指摘しても改めない信念を持った研究者は僕に尋ねる。僕は頷いて肯定した。口をあんぐりと開けて彼に向ける。

('A`)「まずはこれを見てくれ。どう思う?」

(:^ω^)「すごく・・ズタズタですお」

 

62 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 21:58:54 ID:5dySaMLE0 [61/73]

 こちらから見せておいてなんだが、他人から見て一目でわかる損傷をしていることに僕は自分で驚いた。思わず続けて訊いてしまう。

('A`)「え、そんなにひどい?」

( ^ω^)「医学的にどれほどかは僕にはわかりませんが、なんというか、カサブタみたいになって歯茎が盛り上がってる部分があったり、歯に血の色が滲むようにまとわりついていたりと、パッと見のインパクトはなかなかですお」

('A`)「そんな痛そうレポートはいいんだよ。聞くんじゃなかった」

( ^ω^)「見せるんじゃなかった、と後悔して欲しいとこですお」

('A`)「すまんね。でもこれが相談したいことなんだ」

( ^ω^)「それなら口腔外科、つまり歯医者に行くことをお勧めしますお」

('A`)「違うダメージを評価して欲しいわけじゃない」

 

63 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:00:04 ID:5dySaMLE0 [62/73]

 これは介護ロボットにやられたことなんだ、と僕は後輩に打ち明けた。

('A`)「こうした手技の精度を可及的速やかに改善しないと明日も生きられる気がしない」

( ^ω^)「精度っていうか、バグってるんじゃないですかお? 普通ロボットは少なくとも人体に害をなさないようにプログラムされてる筈ですお」

('A`)「おお、ロボット三原則。ほかのふたつを僕は知らない」

( ^ω^)「ロボット工学三原則、ですお」

('A`)「学部生の後輩に対するような用語の訂正」

( ^ω^)「茶化すなら相談を受けるのはやめますお?」

('A`)「ごめんなさい。――しかし、定義にもよるだろうけど、普通バグというのはソフト面での想定しない挙動を言うよな。これはどちらかというとハード面での不具合だと思うんだ」

 ツンの持つ99%の精度について、僕は有能な後輩に昨日の出来事をつまびらかに話して聞かせた。

 

64 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:01:01 ID:5dySaMLE0 [63/73]

( ^ω^)「なるほど、99%の精度と言えば聞こえがいいけど、三寸切り込めば人は死ぬのだ、という話ですかお」

('A`)「さすがに切り込まれたくはないんだ。調剤ロボットはそのへんどうやってんの? 抗がん剤の扱いは丁寧にしてるんだろ」

( ^ω^)「もちろん丁寧にしてますお」

 研究テーマがまったく違うとはいえ、僕は一応ロボット工学研究室に所属をしており、研究内容のディスカッションは全員交えて定期的に行われるため、ある程度のことは把握している。内藤は抗がん剤調製ロボットを専門としている筈だ。

( ^ω^)「しかし、僕らのロボットと先輩の関わってるロボットは、同じロボットと呼ばれるものでも仕様が大きく異なりますお」

('A`)「ほう、具体的には?」

( ^ω^)「僕らの抗がん剤調製ロボットは、基本的に規格の揃った医薬品を扱いますお。それに対してそちらの介護ロボットは生きてる人間を扱うわけですお」

 

65 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:02:02 ID:5dySaMLE0 [64/73]

 そういえばツンもそんなことを言っていたな、と僕は彼女の発言を頭に浮かべる。

('A`)「僕らは生きてるから日内変動があるって話か?」

( ^ω^)「その通りですお。だからモニタでその都度距離やサイズを評価する必要がありますお」

('A`)「お前らのはそうじゃないのか?」

( ^ω^)「僕らのは、薬剤のバイアルや輸液の口の形状をすべてシステムにインプットして、それぞれの規格に準じた抗がん剤準備トレイのようなものにモノをセットして動かすわけですお。トレイの場所は一定で、薬品のサイズも規格通りですから、99%精度のモニタリングなど不要ですお」

('A`)「なるほどね、そういやそっちはそもそもヒト型ですらないもんな」

 ブリキのオモチャに人の生首が乗ったようなデザインは強烈で、ヒト型でどう見ても自律行動をしているロボットの先進性について注意を払えていなかったことに僕は気づいた。

 

66 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:03:42 ID:5dySaMLE0 [65/73]

 調剤も介護も医療職に無縁な僕にとっては大差のない用語であって、それぞれに対するロボットについても似たようなものだろとばかり思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。長岡教授も僕に対してはっきり専門外だと言っていたことを思い出す。

('A`)「やれやれ。それじゃあ具体的な解決法をすぐさまもらえそうにはないわけだ」

( ^ω^)「その99%精度モニタについても僕らは概ね無力ですお。少なくともモニタリング能力改良という方向については何も助言はできませんお」

('A`)「だろうな。というか、今ミリ単位でコントロールされてる精度をこれ以上改善しようというのも効率がいいとは思えないしな」

 困っているのは、そのミリ単位の精度が介護業務の場面においては不十分であるということだ。僕は口内のガサガサとした部分を舌で押す。鈍い痛みがじわりと広がる。

 プリンタが動いているのに僕は気づいた。隣に座る有能な後輩は僕の主張に深く頷き、腕を伸ばして掴んだ紙の束をこちらによこした。

( ^ω^)「これが一応僕らが開発した抗がん剤調製ロボットの概要ですお。協賛企業の社内講演会でプレゼンした資料なのでそこそこ見やすいと思いますお」

 

67 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:05:37 ID:5dySaMLE0 [66/73]

 そこそこどころかきわめて見やすい資料だった。利益相反を持たず、壇上に立つ場合は講演ではなく学会発表が常である僕が今後彼にスライド作りに関して文句を言うことはないだろう、と頭の一部で考える。

 抗がん剤調製ロボットはツンを目にした僕にとってはロボットというよりマシーンと言った方がしっくりくるデザインと仕様をしている。作業スペースと一体化した部屋の内部に完全に組み込まれており、完全に抗がん剤調製に特化している。

 話の持っていき方によっては割と何でもやってくれそうなツンとはまったく異なるものである。

('A`)「なるほどね。なんだか医療系の何とかロボって括りで同じような系統のものをどこか想像してたけど、まったく違うな」

( ^ω^)「そうだろうと思いますお。・・あまり役に立たなくて申し訳ありませんお」

('A`)「いやぁ役には立ってるさ」

( ^ω^)「そうですかお?」

('A`)「何よりまったく違うということがわかった。確かにあの介護ロボットの研究は、長岡先生や、ひょっとしたらお前たちより僕に向いているのかもしれない」

 

68 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:06:16 ID:5dySaMLE0 [67/73]

( ^ω^)「何か思いついたんですかお?」

('A`)「そうだな、漠然とだけどな。とりあえず抗がん剤調製ロボットの仕様をもうちょっと詳しく教えて欲しい」

( ^ω^)「こっちの話なら何でも訊いてくれて構いませんお」

('A`)「まずこのバイアルを掴むアームだが、この先端の手先の部分、実際に薬剤の瓶を掴むところは何でできてる?」

( ^ω^)「ええと、何だったかな、おそらくゴムか、もしくはシリコンなんかだと思いますお」

('A`)「それはなぜだ?」

( ^ω^)「先輩が先ほど言ったように、抗がん剤の扱いは丁寧にしないといけないからですお。だから柔らかい素材でできていますお」

 どうしてそんな当たり前のことを訊くのかわからない、といった素朴な顔で内藤が答える。かつて直属の後輩だったころによく見た顔だ。何らかの質問を僕から与えられ、十分な返答をできなかった場合の簡単な講義の開始をデジャヴのように感じてくれているかもしれない。

 

69 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:08:15 ID:5dySaMLE0 [68/73]

('A`)「薬剤によってそのバイアルやアンプル、輸液バッグの大きさはすべてインプットされて専用のトレイにセットされているんだろ? 正しい規格を正しく扱うのであれば、ゼロミリ100%の精度で仕事をできるのであれば、そんな配慮は必要ない筈だと思わないか?」

( ^ω^)「それは・・安全マージンのようなものを取っているんじゃないですかお? 同一規格とはいっても完全に同じものではありませんお」

('A`)「そうだな。他にも理由はあるんじゃないか?」

( ^ω^)「ええと・・あ、圧力! バイアルを保持するには圧力を加えなければなりませんお。だからある程度力を加えても大丈夫なように、柔らかく摩擦を生みやすい材質でできている筈ですお」

('A`)「そう、僕もそう思う。ものを握るには摩擦が必要で、摩擦の大きさは垂直抗力に比例する」

( ^ω^)「まるで物理の先生みたいですお」

('A`)「僕は茶化されても相談をやめないからな」

( ^ω^)「どうぞ続けてくださいお」

 

70 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:09:04 ID:5dySaMLE0 [69/73]

 ('A`)「垂直抗力は圧力だ、圧力をバイアルにかけなければならない。その調整をどうやっているのかを僕は知りたい」

( ^ω^)「ううんと、ちょっと即答できませんお。調べればわかると思いますけど」

('A`)「いや、よく考えたら実例を知る必要はないな。僕がこれから思いつきの調整方法を言ってみるから、それがお前の経験上アホらしい考えなのか、それとも検討の余地ありなのか、はたまたジーニアスと呼ぶべきナイス・アイデアなのかを教えてくれ」

( ^ω^)「ナイス・アイデアってなかなかダサい褒め方ですお」

('A`)「うるさいな。それじゃあお前なら何て言って褒めるんだよ」

( ^ω^)「ええと、そうだな、最高にクールなアイデア! なんてどうですお?」

('A`)「くそダセぇ」

( ^ω^)「・・その場のフィーリングで考えますお」

('A`)「この場で決めず、ハードルを自ら上げていくスタイル」

( ^ω^)「茶化すなら相談はおしまいですお?」

 僕は彼に謝った。

 

71 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:12:09 ID:5dySaMLE0 [70/73]

 内藤から「ナイス・アイデア」との賛辞をもらった僕は、その後自分の仕事を真面目にこなし、夕食も彼と共にすることにした。とても久しぶりのことである。

( ^ω^)「先輩、最近は夕食もがっつり食べているんですかお?」

 大学近くの飯屋に並んで向かいながら、彼は僕にそう訊いた。今と同じく、学生時代から僕はほとんど夕食をとらず、どちらかというと酒ばかり飲んでいたのだ。直属の後輩だった内藤は僕のその習慣を知っている。

 僕は歩くリズムを変えることなく返答する。

('A`)「いや、家に帰りたくないだけだ」

( ^ω^)「そんな熟年夫婦みたいなことを」

('A`)「実はうちには今不完全な介護ロボットがいてね」

( ^ω^)「知っていますお」

('A`)「彼女は今朝、僕に朝ご飯を作ってくれたんだよ」

 

72 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:14:34 ID:5dySaMLE0 [71/73]

 ツンの作ってくれた朝食は見目麗しく、シリアルに牛乳をかけて食べたり、せいぜい目玉焼きを焼いてトーストに乗せるのが関の山だった僕の朝を明るいものにした。手作りの卵焼きなど久しぶりに目にしたのである。ロボットが作った食事を手作りと表現することの是非は今回論点としていない。

 その卵焼きの中には細かい卵の殻が含まれており、デリケートな状態になっている僕の口内に危害を加えた。そしてその塩気の強さはデリケートな状態になっている僕の口内を容赦なく刺激したのだった。

('A`)「端的にいって、あれは悲惨なものだった」

(:^ω^)「・・お料理が苦手な女の子ってのも可愛らしいものですお?」

('A`)「慰めはいらないよ。・・あれもおそらく99%の精度で行った仕事なんだろう。卵はその力の加減に耐えられず、上手く割れなかったエラーなんて想定していない挙動によって生じたものであると考えらる。これはそもそもの原因はハード面にあるともいえるけど、まあバグの範疇だろう。こちら側の責任だ」

 塩加減の原因は何なのだろう、と僕はぼんやり考えた。僕らの注文した料理がそれぞれの前に運ばれてくる。僕らはしばらく黙ってそれぞれが自分の食事を静かに進めた。

 

73 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:16:22 ID:5dySaMLE0 [72/73]

 こうして久しぶりにひとつのテーブルで食事をとっていると、彼を研究室の先輩として指導していた日々を思い出す。当時の後輩、内藤ホライゾンは素直で明るい青年で、乾いたスポンジの吸収力で僕から知識と技術をぐんぐん吸ったものだった。

 こちら側の責任だ、という文言も、当時僕らがよく使っていたディスカッション締めくくりの文句だった。僕たちの研究内容はどちらかというとプログラムやシステムといったソフトな方面の分野であって、僕たちが丁寧に積み上げた完璧な理論がハード面の不具合で覆される、という醜悪な現象が生じることは決して珍しいことではなかったのだ。

 そういった場合、僕らは改めて自分の仕事と他の仕様を精査し直し、すべてをつまびらかにした上で原因の追究とその評価を行った。

 10対0でこちらに落ち度がない場合を除き、僕たちは僕たちの中でそれらすべてをこちら側の責任であるということにした。企業の研究者やエンジニアには許されない態度であることだろう。しかし僕らの仕事は利益の追求ではなく研究そのものなのであって、僕はそうした姿勢を好ましく思っていた。

 今もそうだ。

 しかしひとつだけ違うのは、僕が現在所属するのはロボット工学研究室で、どちらかというとハード面の仕事に額面上携わっているということである。今の“こちら側”はかつての“あちら側”だ。今更ながらに僕はそう考えるに至ったのだった。

 

74 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/06(土) 22:16:49 ID:5dySaMLE0 [73/73]

 大きくひとつ息を吐く。僕は見るともなしに内藤を眺めた。

( ^ω^)「どうしましたお?」

('A`)「ちょっと昔のことを思い出してた」

( ^ω^)「おっおっ、その節は大変お世話になりましたお」

('A`)「お前はいったい何を思い出したんだ」

 僕は少し笑ってそう言った。笑ってしまったら負けである。わざわざ言うつもりもなかった言葉が、蹴られた小石が転がるように僕の口からこぼれ出した。

('A`)「今日は久しぶりにこうして話せてよかったよ」

 もっと早くこうしていればよかったような気さえする。別に彼らを拒絶していたわけでもなければ彼らに拒絶されていたわけでもないのだが、僕はどうしようもなくそう思ってしまうのだった。

( ^ω^)「それにもまた、同意見ですお」

 内藤ホライゾンは少し笑ってそう言った。

 

77 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:48:36 ID:zlnELV2s0 [1/71]
○○○

 直属の先輩らしく彼の分の代金も払った僕は、そのまま帰路につくことにした。

( ^ω^)「ごちそうさまですお。しかし、あまり役に立たなかった気がしますお」

('A`)「そんなことはないさ。それにこれからまた何か訊くかもしれない」

( ^ω^)「僕はこの後もしばらく研究室ですから、何かあったら連絡してくださいお」

('A`)「そうだな、これから帰ってディスカッションだ、何かあったら頼むかもしれない」

 僕が肩をすくめてそう言うと、内藤は深く頷いていた。

( ^ω^)「ドクオさんのナイス・アイデアが成功することを願ってますお」

('A`)「お、僕をその呼び名で呼ぶのかブーンくん」

 教授に与えられた呼び名を僕があまり気に入っていないことは、この元直属の後輩ならば当然知っている筈だ。ツンにドクオと呼ばせているのはただの気まぐれに過ぎず、内藤にそう呼ばれるのは完全にはじめてのことである。

 

78 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:50:35 ID:zlnELV2s0 [2/71]

( ^ω^)「僕はブーン、先輩はドクオですお」

('A`)「どうしたいきなり?」

( ^ω^)「いえ、なんだか妙に打ち解けたような雰囲気だったので、もし気づいてないなら教えておこうと思ったんですお」

('A`)「何を?」

( ^ω^)「この研究室で、他にあだ名を長岡先生からつけられた人が何人いるか知っていますかお?」

('A`)「いや知らないな。ドクターまで進んだやつら全員じゃないのか?」

( ^ω^)「全員ではありませんお」

('A`)「ええと、ドクオにブーン、シュールさんだろ、そういや他にはいないのか?」

 現在長岡研究室に所属する博士課程は4名の筈だ。教授就任時の僕ひとりからすると急増しているわけだが、その半数があだ名をつけられていないことになる。

 

79 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:51:34 ID:zlnELV2s0 [3/71]

( ^ω^)「学部の4年にモララーとつけられたやつがおりますお」

('A`)「そういやいたな。学年トップのやつだろ?」

( ^ω^)「そうですお。彼は長岡班で僕が見てますが、とても賢いやつですお」

('A`)「さすが学年トップ。ついに我が研究室にもピンのピンが来るようになったんだな」

( ^ω^)「・・最初のピンは先輩ですお」

('A`)「僕が? お前、僕の成績知らないだろ。こう見えて最低限の勉強しかしてこなかったんだからな」

( ^ω^)「見え方でいいならそのように見えますお」

('A`)「何なのお前、おだてるふりして喧嘩売ってんの?」

( ^ω^)「いえいえ滅相もありませんお」

 

80 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:52:47 id:zlnELV2s0 [4/71]

 内藤ホライゾンは半ばふざけた調子でそう言った後、不意にまっすぐ僕を見た。明るく素直で基本的ににこやかな彼の視線に僕は正直うろたえてしまう。

 先輩としての威厳を回復するため、僕は胸を張るようにして彼を睨んだ。

( ^ω^)「・・何ですお?」

('A`)「こっちのセリフだよ。お前こそどうした」

( ^ω^)「ああいや、ちょっと真面目なことを言おうと思ったんですお」

 おそらくですけど、と前置きをして、彼は僕に言葉を続ける。

( ^ω^)「教授は、気に入ったというか、有能さを認めたひとにしかあだ名をつけませんお」

('A`)「嘘だあ。僕がドクオって言われだした時、すげぇ適当な感じだったぜ? 長岡班でもないし、なんならロボット工学をやってない。誘われてもないんだぞ」

( ^ω^)「――だから、今、誘われてるんじゃないですかお?」

 

81 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:53:52 ID:zlnELV2s0 [5/71]

('A`)「今?」

( ^ω^)「介護ロボット研究を通して、ですお」

('A`)「いやいや。めちゃくちゃ丸投げされてるんだぞ僕は。こうしてまさに、お前に相談しなければならないほどに」

( ^ω^)「そもそも長岡先生が丸投げするってのが僕たちにとっては驚きですお」

('A`)「そうなの?」

( ^ω^)「そうなんですお。コントロールフリークというわけではありませんけど、教授は普段僕らの進捗を都度確認して結構口出ししてくるんですお」

('A`)「それは面倒くさいなあ」

( ^ω^)「助言はありがたいけどたまにうるさくも感じますお。まあ、それも外が関わってる研究がほとんどだからなんだとは思うし、理解はできるわけですお」

 しかし今回の案件は僕に丸投げだ。この長岡研究室のエース研究者はそれを僕に対する評価の表れだという。正直僕にとっては眉唾ものだ。

 

82 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:55:10 id:zlnELV2s0 [6/71]

 そうして半信半疑の状態にされたまま僕は内藤とお別れをした。わざと遠回りをして散歩がてらに帰宅する。

 頭の中で様々な考えがごった煮になっている。その中のひとつが明確な思考となって確立されようとすると、言語化されるより先に他のひとつがかき乱すのだ。僕は風景の変化や聞こえる雑音、肌に感じる風を刺激とし、そのとりとめのない刺激から誘導されるすべてをあるがままに受け流す。

 考えるともなしに考える。絶えず形を変える炎をどれだけ眺めても飽きがこないように、僕はその時間を楽しんだ。

 家に着く。鍵を開けて扉を押すと、そこにはブリキのオモチャのようなバディに精巧な美少女の頭部が備わった介護ロボットが立っていた。

('A`)「ただいま、ツン。待ってたの?」

 僕は彼女にそう声をかける。ツンは「アタリマエデショ」と言うわけではなく、きわめてステレオタイプなその名の由来となる態度をとった。

ξ゚⊿゚)ξ「べ、別にあんたを待ってたわけじゃないんだからね! 玄関で充電するのが効率的なだけだったんだから!」

 

83 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:55:56 ID:zlnELV2s0 [7/71]

 頭を掻いて廊下を歩き、キッチンに入ろうとした僕はツンに呼び止められた。

('A`)「どうした?」

ξ゚⊿゚)ξ「どうした、じゃ、ないでしょ! あんたは要介護者なんだから、さっさとリビングにでも行ってなさい」

('A`)「そうか、そうだね。それじゃあ手だけ洗わせてもらおうか。ビールとグラスを持ってきてくれるかな? ツマミはいらない」

ξ゚⊿゚)ξ「ビールなんて冷蔵庫に入っていないけど?」

('A`)「ごめんよ発泡酒だ。炭酸入りのアルコール飲料を持ってきてくれ」

ξ゚⊿゚)ξ「はぁい」

 きわめて平常運転という態度で働く彼女は嫌味を言ったつもりはないのだろう。大きくひとつ息を吐き、ソファに深く腰かけると、発泡酒のロング缶と良い泡を作るビールグラスを持って介護ロボットが現れた。

 

84 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 13:56:59 id:zlnELV2s0 [8/71]

 99%の精度で注がれた発泡酒をなんとかこぼさず口まで運び、相談があるんだけど、と僕は話を切り出した。

('A`)「ええとそうだな、ツンは自分の、この動作の精度についてどう思う?」

ξ゚⊿゚)ξ「あらかじめ型を作るわけにはいかないし、日内変動も微妙にある人体への介助を可能にする、夢のような技術だと思うわ」

('A`)「そうか、そうだね。そうだった。――訊き方を変えようか、この精度をツンはどう評価する?」

ξ゚⊿゚)ξ「十分ではないわね。はっきり言って、使い物にならない程度の低さと考えるわ」

('A`)「――すごいな、自己評価は妥当なんだ?」

ξ゚⊿゚)ξ「当たり前でしょ」

('A`)「いやあ正直驚いた。ひょっとしたらそうかもしれないな、とは思ってたんだけど」

ξ゚⊿゚)ξ「それで、改善策はあるの?」

 それを今日は考えてきたんだ、と僕は言った。

 

85 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:00:14 ID:zlnELV2s0 [9/71]

('A`)「実現可能かどうかは置いといて、とりあえず考えを聞いて欲しい。というか、聞いた上で実現可能かどうかを判断して欲しい、といった方が近いかな」

ξ゚⊿゚)ξ「なんでもいいわ。聞かせてちょうだい」

('A`)「まずそのモニタと演算能力からくる動作精度だけど、その精度自体は悪くないものだと思う。ここを攻めるのはかえって非効率的なんじゃないかと思うんだ」

ξ゚⊿゚)ξ「それで?」

('A`)「改善策は大きくふたつ考えた。どちらにも共通するのは、頭部の位置からモニタリングするのをやめるということだ」

 1%の誤差の実際の大きさは、当然ながら対象までの距離に比例する。手先と頭部という離れた地点を観測するのが問題なのであって、これをやめれば自ずと問題はなくなるだろう。

('A`)「たとえばそうだな、モニタを頭ではなく胸のあたりにするだけでも単純に観測距離が結構短くなるんじゃないか? 姿勢による揺れやブレも少なくなるだろうから精度もそれだけ向上するかもしれない」

 

86 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:02:16 id:zlnELV2s0 [10/71]
 
 直角三角形は斜辺が一番長くなる。腕の高さでの作業を観測するのであれば、腕の高さにモニタがあるのが理論上もっともよい筈だ。それでも距離が長すぎるのであればアームの長さを調節する。これが僕のひとつ目の改善策だった。

('A`)「腕の高さは胸の高さ――」

 乳首の位置でモニタリングする介護ロボットの姿を頭に浮かべ、ひょっとしてこれはよくないのではないだろうかと提案した僕は頭を悩ませた。理論上適切なデザインが必ずしも倫理上適切だとは限らないのだ。

 そんな僕の提案にツンは一定の理解をみせる。ただし彼女は反論を付け加えるのも忘れなかった。

ξ゚⊿゚)ξ「なるほどね。確かに観測地点を変更すればより良い仕様になるかもしれない。でもね、あたしの仕事はあんたの歯磨きだけではないの。もっと言うと、あんただけがあたしの想定するべき介護対象でもないのよ」

 その反論は想定外のものだった。介護の対象は僕だけではない。他にいったい誰がいるのだろう?

 

87 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:04:20 ID:zlnELV2s0 [11/71]

('A`)「僕のほかに、どこに介護対象がいるっていうんだ?」

 ひょっとしてホラーな類の話なのか、と身構えて質問すると、当たり前の顔をした介護ロボットは聞けば当然そうだとしか思えないような返答をした。

ξ゚⊿゚)ξ「あのね、あたしは介護ロボットなの。想定するのはいわゆる介護施設での運用よ。個人利用で自律型ロボットを買えるようなお金持ちは人を雇った方が今のところ安上がりだもの」

('A`)「そうか、確かにそうかもしれない。なるほど施設での運用か」

ξ゚⊿゚)ξ「施設は種類によってそれぞれ施設基準が異なるけれど、たとえば3対1の割合で介護・看護職員を置かなければならなかったりするの。要介護者3人に対して職員がひとりいなければならないわけね。そして、あたしたち介護ロボットが十分な性能であると認定された場合、特定の条件下でその人員配置数として1体につき0.3を計上しても良いように今後法改正される可能性がある」

('A`)「法改正!? ちょっと待て、これってそんな規模の話なのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「当たり前でしょ」

 当然の顔で彼女は言った。

 

88 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:08:33 id:zlnELV2s0 [12/71]

ξ゚⊿゚)ξ「この0.3という数字にはおそらくそれなりに根拠があって、イメージとしてはひとりに対して1体を付かせ、3対1の端数に全体をマネジメントする職員を置くって感じなんでしょうね。データが揃い、あたしたちにアップデートが重ねられ、世界から信頼を得られるようになればその数字はまた変わるんだろうけど」

('A`)「施設での運用を前提とはするけれど、とりあえずは多数対多数の中の1対1の対応を想定するから、こうして生活環境での僕とツンでの開発が適切となるわけか」

ξ゚⊿゚)ξ「そういうこと。ま、マスターの考えそうなことね」

 多数の中での運用となるなら僕ひとりに注意を払うだけというわけにはいかないだろう。常に周囲の様子を伺うことが必要なのであれば、小回りの利く頭部にモニタが設置すべきという主張にも、ある程度の説得力があると考えられる。

('A`)「しかしモニタを頭部に設置して首を振って周囲の様子を伺わなくても、複数モニタを設置するなりすればいいんじゃないのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「もっともシンプルなデザインを選択したのはあんたでしょ、もう忘れたの?」

('A`)「そういえばそうだった」

 

89 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:10:43 ID:zlnELV2s0 [13/71]

 あの初期デザインの選択場面のようなところで「一番いいのを頼む」と言っておけばまた違った未来が待っていたのだろうか?

 しかし、当時のことを思い起こした僕は、ツンの主張に矛盾点があるのに気がついた。驚くべきことに、それは昨日の出来事なのだ。1週間前だと言われても信じてしまいそうなものだが記憶は比較的新しい。

('A`)「本当にそうかな? だって僕が選んだデザインはツンのバディだ。その頭部は僕の注文じゃあない」

 ツンのモニタは頭部、両眼の位置に付いているのだ。彼女がまばたきのような動作でレンズの汚れを定期的に取り除くことを僕は確かに知っている。

ξ゚⊿゚)ξ「――確かにそうね」

 彼女はそう言い、僕の指摘をあっさりと認めた。僕はなんだか拍子抜けした気持ちでその整った顔を見つめる。動揺のまったく見られない介護ロボットのすました顔だ。泡の消えてしまった発泡酒で僕は喉を潤し、すました顔のまま言葉を続けるツンを眺める。

ξ゚⊿゚)ξ「確かにバディがどんなデザインだろうと、このメイン・モニタはこれと同じね。ただしサブ・モニタをほかに使用しない理由はないんじゃないかしら」

 

90 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:11:52 id:zlnELV2s0 [14/71]

('A`)「まあ、それはそうかもしれない。しかしどうやったってメインは頭部のそこなんだ?」

ξ゚⊿゚)ξ「そうね、あたしたちはできるだけ人間に近づくようなデザインをコンセプトのひとつとされてるようだから」

('A`)「今のツンが言ってもなんだか説得力がないけどな」

 僕は彼女の首から下の、ブリキのオモチャのようなデザインを眺めてそう言った。仮に今すぐ長岡研究室で『オズの魔法使い』の配役を決めるとしたら、ツンの担当は全会一致で即決されることだろう。

 何にせよ、ツンのデザインを担ったエンジニアは基本的に目で見させようと考えたということだ。

('A`)「――悪くない考えだと思うよ。介護施設での運用を考えるなら、想定される要介護者はほとんどが高齢者だろうしね」

 あるいは偏見なのかもしれないが、ロボット、機械に介護される忌避感は高齢者であればあるほど強いのではないかと想像できる。ツンの頭部のクオリティで人間に近づけることができるのであればそれは大きな利点となることだろう。

 

91 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:14:06 ID:zlnELV2s0 [15/71]

 そして、矛盾するようだが、リアル度のようなものが増せば増すほど小さな齟齬に対する違和感は強く感じられるものである。ドット絵では気にならないゲームキャラの言動や衣装がフル3Dグラフィックでは変な笑いを誘うというのはリメイク作品を遊んだ者なら経験したことがあるだろう。

 小さな違和感。たとえばものを確認する場合の視線の動きやまばたきの有無、そして発言する場合の発声メカニズムなんかもそうなのかもしれない。スピーカーを通して再生される音声よりも、胸部から送られる空気を声帯に震わせて発する声の方がおそらく彼らにはふさわしいのだろう。

 この介護ロボットの開発はそうしたコンセプトに則って行うべきなのかもしれない。

 しかし、と僕は考える。

('A`)「だったらなおさら、僕のふたつ目の解決策は気に入ってもらえるんじゃないかと思うけどな」

ξ゚⊿゚)ξ「そうなの、どうして?」

('A`)「より人間の機能に近づける、自然な方法だと思うからさ」

 

92 自分: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:16:21 id:zlnELV2s0 [16/71]

 僕の第二の改善策は、手部に圧力センサを備えるというものである。僕はその仕様のイメージをツンに伝えた。

('A`)「イメージはまさしく人間の皮膚だ。僕らは視覚で受け取った情報を元に空間を認識しているのかもしれないが、おそらくものに触ったり掴んだりする場合は触覚を最大限に活用しているんじゃないかと思う」

 99%の精度の一部を使って対象の位置に当たりをつけ、圧力センサで接触が認められるまで指を進める。わずかに圧力を加えて摩擦を生じさせればデリケートにものを掴むことができるだろうし、圧力の変化を調節すれば、ほどよい具合にブラシを歯にあてることもおそらく不可能ではないだろう。

 問題となるのは、そのような機能を搭載させる技術が僕自身にはないことだ。考えとしては悪くない、ナイス・アイデアだと思うのだが、実際のところ実現可能かの判断は僕にはできない。そして彼女にできるかどうかも僕にはわからないのだった。

 あるいは内藤であれば実装させることができるかもしれない。僕よりはロボット工学面での知識や技術があるだろう。そしてこの考えを聞かせたときに自分では対応不可能だとも言わなかった。

 

93 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:17:38 ID:zlnELV2s0 [17/71]

 僕は彼女の返答を待つ。結論から言うと、とツンは言った。

ξ゚⊿゚)ξ「実装自体は可能よ、バディを一部作り変える必要はあるけどね」

('A`)「作り変える。そんなことができるのか?」

ξ゚⊿゚)ξ「正確にいうと、この両手を破棄して圧力センサを搭載した両手を新たにアウトプットし、両手の位置にそれぞれ付ければいい」

('A`)「すごいなあ。僕は何か手伝うことある?」

ξ゚⊿゚)ξ「ないわ、そこでただちに待機したまえ――と言いたいところだけど、ひょっとしたらあるかもしれない」

('A`)「何かな」

ξ゚⊿゚)ξ「圧力センサを作ること自体はできる、理論はわかっているからね、ただし圧力センサを使う予定はあたしのデザインにはなかったの。そこから得られた情報を上手に処理できるかわからない」

 

94 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:19:01 id:zlnELV2s0 [18/71]

 なるほどね、と僕はツンに頷いた。

('A`)「わかるよ」

ξ゚⊿゚)ξ「わかるの?」

('A`)「よくわかる。あるベース・システムのようなものがあって、そこにオプション・システムを備え付ける時、それぞれのシステムは十分上手に動いている筈なのになぜだか連携がうまくいかない、といった話はそこら中にありふれている」

 それぞれのシステムを他社が作っている場合などは最悪だ。どちらも同様に自分のシステムに非はないと主張し、なぜかクライアントが水掛け論の板挟みにあうような状況になりかねないものである。

 そしてそのシムテムにハード面の話まで入ってくるなら何をか言わんやというところだろう。どこかで誰かがすべての仕事を一元管理し最適化を図る必要がある。

 そして、こうしたシステムやソフトウェア面での問題解決や調整というのは、実はこの僕がもっとも得意とするところなのだ。

 

95 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:24:51 ID:zlnELV2s0 [19/71]

 乗り越えるべき障壁への取っ掛かりを発見し、そこに手をかけ、これはやりようによってはどうにかなるかもしれない、と予感を確信へ変えていく作業がこうした類の仕事におけるもっとも快感を生むところである。

 圧力センサを導入すればどうにかなるのではないかという仮定を僕は考えた。そしてそれが実現可能であると知った。その先にはシステム面でのすり合わせが必要なのかもしれないが、そこは僕の専門だ。少なくともこのロボット工学研究室では誰にも負けない分野だろう。

 種火に大事に息を吹きかけ、大きな炎をどうにか作る。これはおそらく僕らの先祖の積み重ねてきた成功体験が本能に刻んだ快感だ。快感が僕を内側から高揚させる。

('A`)「僕なら上手くやれると思うよ」 

 すると彼女はその整った顔を大きく変化させることなく、すました顔で小さく頷いてみせたのだった。

ξ゚⊿゚)ξ「そう。それじゃあそのときはよろしくね」

 こいつのネーミングはツンデレではなくクールとするべきだったのではないか、と僕は少し自分を疑った。

 

96 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/06/07(日) 14:27:28 id:zlnELV2s0 [20/71]

 自覚できるほどテンションが上がっている僕とは対照的に、ツンはきわめて冷静だった。しかしそれも考えてみれば当然で、彼女はロボットなのだからそもそも感情というものが存在しないのかもしれない。

 その反応には無機質なものをあまり感じないけれど、自然な発声と発言内容、そしてハイクオリティな頭部によって僕が勝手にそう受け取っていただけなのかもしれないのだ。

 そのクールな介護ロボットは僕をまっすぐ見つめてこう訊いた。

ξ゚⊿゚)ξ「今すぐはじめる? 明日にする?」

 気持ちとしては今すぐ取りかかりたいところだけれど、これから実験をするには遅すぎる時間帯のようにも感じられる。空になった発泡酒の缶とビールグラスを僕は見比べ、これからアウトプットを待った挙句にまったく上手くいかなかった場合のことを考える。

('A`)「明日にしようか。今日はもう十分遅い時間だ」

 作業をただちに行わなかったところでツンが逃げたりはしないだろう。なんなら僕が逃げ出したいくらいだった。

ξ゚⊿゚)ξ「おっけー」

 そう言ったツンの右手に僕の歯ブラシが握られていたからである。