川д川 昔話をするようです ('、`*川

2 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:03:37 [2/43]

 久しぶりにペニサスから連絡があった。

 それは私が女子大生らしく街でショッピングにいそしんでいた休日の午後の出来事で、最新機種のスマートなフォンに表示された通知を私は受け取ったわけだった。

('、`*川「やふー貞子ちゃん。時間があったら久しぶりにお茶しない?」

 現役時代のプレイスタイルからは想像もつかない軽薄な文言でのお誘いだ。ちょうど今回の目的だったアイテムを購入し終えたところだったので、私はふたつ返事で合意した。

 そして彼女のユニフォーム姿を思い起こす。

 私とペニサスは同じ高校の出身で、バスケットボールに在学中のあらゆる情熱を注いだものだった。

 

 

3 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:04:42 [3/43]

 指定された店まで移動する。休日であるというのに世には制服姿の少年少女が溢れており、中には私たちの出身校の制服もちらほら見られた。

川д川「なるほど、通ったことがない道だったからピンとこなかったけど、意外と高校から近いのか」

 地図アプリを頼りに店まで到着すると、どうやら私の方が先に着いたようだった。ちらほらと雪の降る気温の中立って待つ気にはならず、早速私は入店した。

 店員に促されるまま2階の窓際に腰かける。コートを脱いで雪を払い、大きくひとつ息を吐く。窓から外の様子を眺めていると、やがて知っている顔がこちらに向かってきているのに気がついた。

 ペニサスだ。ほんわかとした優しい顔は大学生になっても変わっていない。こちらからは彼女が見えているが、おそらくペニサスがこの2階席に注意を払うことは不可能だろう。

川д川「なにやら盗撮でもしている気分」

 その一方的な観察を私は楽しむ。

 ペニサスは完全に着やせするタイプだ。コートを着ていることもあるが、まさかその中にアスリートの体が潜んでいるとは思うまい。誰もがそのほんわかとした顔と高くない身長に騙されることだろう。

 ユニフォーム姿になった彼女は意外や意外、ゴリゴリのインサイドプレイヤーなのだ。

 プレイスタイルも泥臭い。

 体を張って私たちシューターを活かしてくれる、RPGでいうところの盾役のような存在だった。

 

4 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:09:24 [4/43]

('、`*川「おっす」

川д川「うぃ」

 店員に導かれて2階の窓際席へ上ってきたペニサスと必要十分な挨拶を交わす。どれだけ久しぶりの再会であろうとも、私たちにはこれで十分だ。

川д川「あれ、ひょっとして大学生になって会うのってはじめてじゃないっけ?」

('、`*川「ええと、そうだね。そうかもしれない。そういやめっちゃ久しぶりだね」

 ペニサスは私と同じようにコートを脱ぐと、付着した雪を払って私の向かいに腰かけた。

 

5 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:10:11 [5/43]

('、`*川「注文してないの?」

川д川「そういやしてない。嫌な客だね」

 笑ってペニサスがメニューに手を伸ばす。長い腕だ。彼女はインサイドプレイヤーらしい筋肉量を、この長い手足とゆったりとした服装に隠し持っている。

 私はその腕をがしりと掴んだ。

('、`*川「うわびっくりした。何!?」

川д川「いやあ、筋肉衰えたかな〜と思って」

('、`*川「そんな簡単にスリムになれたら苦労しないね。一度ついた筋肉を落とすのは大変なのよ」

 ご苦労様です、と私は言った。

 

6 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:18:31 [6/43]

 改めてペニサスと向き合う。互いにメニューを確認し、私はチョコレートケーキを、彼女はシフォンケーキを注文した。

 紅茶はポットで頼んで共有する。何ともオシャレで、この店を選んで流れるように注文を行うペニサスの姿はすっかり一人前の女子大生だった。

('、`*川「お、うちらの後輩じゃん」

 窓から外を見降ろし、彼女は私にそう言った。私はそれに頷き、店員の運んできたケーキとお茶を受け取って並べた。

川д川「ここって学校から近いみたいよ」

('、`*川「そうそう。だからあんたを誘ったんだよ。なんだか懐かしい気持ちになっちゃってさ」

 

7 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:19:32 [7/43]

 ペニサスは何やら遠い目をし、紅茶の注がれたカップを静かに口へとゆっくり運んだ。私もそれに倣ってお茶を飲む。柔らかな口当たりの美味しい紅茶である。私に紅茶の銘柄に関する知識はまったくないが。

('、`*川「てきとーにカフェを探してたらさ、結構評判いいとこがあって、地図見たら学校の近くじゃない。あたしゃ運命を感じたね」

川д川「来たことなかったんだ?」

('、`*川「ないない。高校のときは当たり前になかったし、避けてたわけじゃないけどこのへんのカフェに注意を払う気にはならないわよね」

川д川「それは確かに」

 

8 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:23:42 [8/43]

 高校時代の私たちにとって学校とはバスケットボールをする場所で、学校周辺はただの通路、飲食店はカロリーを摂取する手段でしかありえなかった。仮に当時この店を目にしていたとしても、それを興味の対象として認識するのは難しかったに違いない。

('、`*川「思い出すねえ」

川д川「何を?」

('、`*川「ほら、あそこにもうちの制服の女の子。あのコートの下にはセーラー服。はぁ、セーラー服って尊いわ」

川д川「そうかね」

 私はズズリと紅茶を啜った。

 

9 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:25:01 [9/43]

('、`*川「大学生になって、制服を着ることがなくなったから気づけたんだと思うけど、あの思い出の日々はかけがえのないものだったのだよ」

川д川「ほう」ズズ

('、`*川「やっぱり春がいいかな。過ごしやすい陽気で道の花壇にはキレイな花が咲いちゃって、それを横目にテクテク歩いて帰るわけ。ちょっと美味しそうなお店を見つけて買い食いしたり、ついついオシャベリが長くなって遅く帰って怒られちゃったりさ」

('、`*川「いやあ、青春だったわねぇ」

川д川「それは、記憶?」

('、`*川「いや妄想」

川д川「よかった。心配したわ」


10 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:28:13 [10/43]

 私と彼女の記憶の間に大きな隔たりがあったらどうしようかと思ったものだったが、どうやら灰色の記憶を妄想でコーティングしただけらしい。

 驚くほどの濃密さで過ごし、あっという間に過ぎ去っていった部活の日々を思い出す。通学路に花が咲いていたかどうかも記憶に残っておらず、私は静かに驚いた。

川д川「あの頃の思い出と言えば――」

 シューターだった私にとってはひたすら反復するシューティング練習の記憶がほとんどだ。

 そして試合だ。何度も勝ったことがある筈なのに、負けた試合、それも自分のシュートが最終的に外れて負けた試合のことは特に鮮明に思い出すことができる。

 それまでに何度勝利に貢献しようとも、高校生活最後の試合で最後のシュートを放ったあの感覚を、私は一生忘れることができないだろう。

 

11 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:28:56 [11/43]

 接戦だった。

 残り時間が3分ほどで、私たちのチームは5点差くらいで負けていた。“鮮明に覚えている”なんて言いながら点差があやふやなのに自分でも驚いている次第だが、少なくとも2本のシュート成功が必要な状況であったことを覚えている。

 私はスリーポイント・シューターだ。

 私の役目はコート中を走り回ってどうにかフリーの状態でボールをもらい、それをできれば3点シュートでゴールリングを通すことである。私はそのために出場していると言っていいだろう。

 残り時間が短く、点差はそこまで広くはないがなくはない、と、誰でも3点シュートを警戒する場面である。当然私はマークされていた。

 

12 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:31:39 [12/43]

 味方のポイントガードが指示を出す。あらかじめ決められた動きで私たちは協調し合い、質の高いシュートを皆で作り上げるのだ。

 大きくひとつ息を吐く。自分のマークマンに目をやると、汗ばんだ肩が触れそうなほどに密着していた。

川д川「汗だくの女の子と触れ合う趣味はないんだけどな」

 そんな私の呟きは無視された。

 彼女は軽く指先を触れるようにして私の動きを読み取ろうとしている。ご苦労様なことである。

 どうせ動き出したら悟られるので、私は彼女に声をかけることにした。

川д川「そろそろ行こうか。おデートしましょ」

 

13 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:32:30 [13/43]

 味方の配置が整っているのを確認して私は床を蹴る。バスケットボールシューズのゴム底がコートとの摩擦で音を立てる。スキール音と呼ばれる高い音だ。

 方向転換の角度は90度。追手の負担となる移動が私の習慣となっている。

 ペニサスだ。味方のインサイドプレイヤーが体を張って私の動きの助けをしてくれている。私は彼女にぶつかるギリギリの進路でそのすぐ横を走り抜ける。

 これまで何度彼女と接触事故を起こしてきたことだろう。その経験値の蓄積を総動員させ、私は理想的なステップでスクリーンを利用した。

 

14 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:33:21 [14/43]

 私たちがそうしている間に、コートの向こう側でも同じようなオフボールの動きが展開されていた。

 それは私の動きを目立たなくさせる囮のような役割を担っている。うまくタイミングを合わせて動き回ることで、私は皆で作り上げる形の中でフリーでボールを受けられるのだ。

 今回の狙いは私のレイアップ・シュートである。もっとも得点期待値の高いプレイで、意外と高い私の身長を有効活用できるデザインとなっている。

 こちらの動きは及第点だ。私はゴール下フリーでボールを受け取る。いや受け取れなかった。

 こちらの動きは及第点だが、あちらの対応が満点だったのだ。今回フリーになることはできないと、私はゼロ秒で察知する。おそらく私にパスを出そうとしている味方の女子もそうだろう。

 

15 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:33:57 [15/43]

 一瞬のひらめき。

川д川「ゴール下への走り込みが察知されているなら――」

 その動き自体をフェイントにしてしまえばいい。

 頭で結論を出すより先に、体が勝手に動いていた。

 左足を踏み込んで無理やり方向転換した自分の行動に理由をつけるとするならば、おそらくそう考えたのだろうということだ。

 この瞬間に、実際私が何をどう考え行動したのか、それは私自身にもよくわからない。

 わかっているのは、当初のデザインの通りにパスを出されていたら、おそらく私はそれを受け取れなかっただろうということである。

 

16 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:34:49 [16/43]

('、`*川「嘘だろなんで!?」

 そして私が利用したのはペニサスだった。

 突然の私の行動に彼女は驚愕したに違いない。

 しかしながら、咄嗟のことでも体に染みついた動作、私のために体を張って壁になるという基本的な働きを彼女は完全に果たしたのだった。

 この動きは私たちのデザインされたセットプレイに満点の対応をした相手にとっても驚きだったのだと思う。熟達したスクリーンプレイで追手を振り切った私は、3点ラインの外にいた。

川д川「フリー!」

 

17 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:35:09 [17/43]

 要求するまでもなく私にパスが送られてくる。

 それまでの移動に伴う運動エネルギーをすべて処理してボールを受け取った私は、既に膝を曲げた投球動作の一部に入っていた。

 必死に私を追ってきたディフェンダーが、諦めることなくシュートの妨害を試みてくる。

川д川「そう かんけいないね」

 熟達したシューターの持つ距離感覚で私は彼女の手が届かないことを知っている。迫りくる追手のプレッシャーは当然いつもそこにある、私にとっては空気のような存在なのだ。

 

18 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:35:56 [18/43]

 はじめてバスケットボールをシュートしたのは小学校での体育の時間のことだった。

 当時の私は両手でビー玉を撃ち出して遊ぶオモチャを殊の外気に入っており、いわゆる女子投げで放つバスケットボールはその動きを彷彿とさせたのだった。

 つまり、私は一発でバスケのシュートが気に入った。

 休み時間に男子に交じってボールを触るような勇気を持ち合わせてはいなかったけれど、体育の時間や、空いているボールとゴールがある場合には抜け目なくシューティングの経験を好んで積んだ。

 中学校に進学してからはもちろん女子バスケ部に所属した。そして現在に至るまで、私は一貫して両手で撃ち出しボールをリングに潜らせる動作を誰よりも愛している。

 だから私は、“ビーダマン”と呼ばれるオモチャをかつての私に与えた親戚のお兄さんには感謝の気持ちを持ち続けている次第である。

 

19 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:36:26 [19/43]

 何万回とそれまでに繰り返してきたのと同じ動作で放ったシュートは、私の両手を離れた後アーチの高い放物線を描き、当然誰にも邪魔されることなくざっくりとネットに包まれた。

 リングには触れさえしていない。スウィッシュと表現される独特の音色が私の口角を持ち上げる。

川д川「これこれ……!」

 この快感のためにバスケをしていると言ってもいいだろう。私は快感に身をゆだねながら、しかしまだ負けているという現状を鑑み足早に自陣へと引き上げる。

 その途中でペニサスと目が合った。気の利いた彼女のスクリーン・プレイがあったからこそ生まれたような得点である。私は彼女を指さし感謝の意をジェスチャーで伝える。

 意外なことに、ペニサスは私を睨みつけていた。

 

20 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:37:30 [20/43]

 直後、相手のタイムアウトが宣告された。

 1分間の作戦会議だ。3点シュートで効率よく縮められたリードを今後どのように保つかを話し合いたいのだろう。

 時間は私たちにも平等に与えられる。ベンチに戻って給水していると、ペニサスが私に近寄ってきた。

('、`*川「何だよ今の。セットの動きと違うだろ」

川д川「確かに違うね」

('、`*川「この土壇場で、しかもシュートになんて、勝手に変更するんじゃないよ」

 かなり激しい剣幕だ。しかしながら、私はまったく彼女に同意できなかった。

 

21 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:37:58 [21/43]

 セットプレイの目的は皆で一丸となって良いシュートを作り上げることだ。良いシュートとは効率性の高いシュートのことで、ゴール下のシュートに代表される。

 そして、そのゴール下シュートに次いで効率がよいと言われているのが、一部の3点シュートなのである。

 通常のシュートは入っても2点にしかならないため、得点効率や期待値というところで考えると、多少成功率が低かろうとも3点シュートは効率性に優れている、というのが現代バスケの常識だ。特にコーナースリーはリングへの距離が短くなるため有効とされている。

 私の先ほど放ったシュートはコーナーでこそなかったが、フリーで打てたシュートだった。十分アリな選択であると私は思う。“良いシュートを作り上げる”という本来の目的を達成できているからだ。

 しかし、そう思わない者もいる。

 

22 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:38:19 [22/43]

 ペニサスの主張に反論しかけたところで監督の話がはじまった。

 私たちの高校はどちらかというと進学校で、この女子バスケ部もたとえばインターハイのような晴れの舞台に上がれるような強豪ではない。

 監督もバスケ経験者ではあるが、誤解を恐れずに言えば素人だ。今回仕掛けたセットプレイも、部長であるペニサスがチームの得点源である私のために考え、皆で工夫し作り上げたものである。

 私たちは決して強豪校ではないけれど、できる限りの情熱と時間をバスケットボールに費やしてきたのだ。

川д川(だからこそ――)

 思い入れも強いのだろうな、と私は思う。

 監督がこの時どのような指示を出したのかは覚えていないが、ペニサスと十分な議論ができずに試合が再開されたことは強く記憶に残っている。

 

23 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:38:40 [23/43]

 そして試合が再開された。

 私たちは依然として追いかける側だ。あらゆる力をふり絞って失点を防ぎ、何とかして得点を重ねる必要がある。

 私はコート中を走って逃げるマークすべき相手を追いかけ、マイボールになっては反撃の機会を注意深く探した。

 入れば高得点となる3点シュートはそれまでの試合上の失敗を覆い隠してくれる、鎮痛薬のような存在だ。真に望ましいのはその原因の追及・解消なのだろうが、とりあえずの急場を凌ぐにはありがたい存在である。

 相手もその有効性を知っているので、私を厳しくマークしてくるというのは、十分予想可能な当たり前のことである。

24 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:39:08 [24/43]

 そのマークの激しさを負担と取るか賞賛と取るかはシューターによって異なるのだろう。私にとっては断然後者だ。ドMでなければこんなプレイスタイルを続けていないとさえ思う。

川д川「――って、誰がドMやねん!」

 そんな自分の妄想に対するツッコミの力さえもを燃料として私はコートを走り回る。既に体力などは残されていない筈なのだけれど、泳ぎ続けていなければ死んでしまうマグロのように、私は地面を蹴って前へと進む。

 努力の甲斐なく相手のシュートが成功した。残り時間は何分だ。何分でもなかった。1分を既に切っており、秒単位での攻防となっている。

 心臓が口から飛び出そうなほど強く鼓動し、汗だか汁だかわからない体液が体中を覆っている。そのくせ口の中はネバネバするのだ。控え目に言ってコンディションは最悪だろう。

 

25 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:39:59 [25/43]

 そんな中、印象的なコールが発せられた。

 かつてペニサスが考え、部の皆で話し合って微調整を繰り返して作り上げたセットプレイだ。

 最終的に私にイージーなレイアップ・シュートを打たせることを目的としたものである。

('、`*川「――」

川д川「――」

 私たちは声を出さずに会話する。大きくひとつ息を吐く。

 これが最後の攻撃となるかもしれない。

川д川「――いこうか」

 バッシュに包まれた右足のつま先に力を込め、私は体育館の床を蹴り出した。

 

26 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:40:36 [26/43]

 マークマンが付いてくる。

 私はペニサスを壁として利用して彼女を剥がす。こちらもあちらも、どちらも必死だ。

 きっとコートの反対側でも同じようにスクリーンを利用した攻防が繰り広げられているのだろう。

川д川「女の子なのにマーク“マン”って、なんだかヘンテコな印象だなあ」

 ピークに達した疲労がそんなことを考えさせるのか、私は試合とまったく関係ないことを思い浮かべながら体を動かした。

 私の体は思考の指令を必要とせずに勝手に動き回っている。習慣化された動作で眼球が情報をかき集め、脊髄反射で精査する。

 相変わらず見事な守備だ。こちらのオフェンスは及第点と言える出来だと思うが、あちらのディフェンスには満点を付けるしかない。

 減点のしようがないのだ。

 

27 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:41:38 [27/43]

('、`*川「――それで、あんたは最後にレイアップを選んだんだったよね」

 ペニサスが紅茶を口に運んでそう言った。どちらから始めたのかすら覚えていない昔話に花を咲かせた私たちは、注文したケーキにどちらも手をつけさえしていなかった。

川д川「そうだね。そして外した」

 私は少し笑ってそう言った。大きくひとつ息を吐く。

('、`*川「あの時は訊けなかったけど、あれってあたしに気を使ったの?」

川д川「セットの動きを無視するな、って?あはは、まさか。そんなわけないじゃん」

 思わぬペニサスの発言に、思わず私は笑ってしまった。本当に予想外だったのだ。

 

28 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:42:10 [28/43]

('、`*川「――本当に?」

川д川「いや嘘なんてつかないよ。マジで、マジで。本当に。気を使ってプレイの選択をしたことはないな。チームの方針には従うけどさ」

 いつもどっしりしていて姉御肌な、我らがキャプテン・ペニサス伊藤が心配そうな顔で見てくるものだから、私はなんだか焦ってしまった。

川д川「あの時は何だったかな、確かにその前のプレイと同じようにスリーまで開いても良かったけど、確かちょっとディフェンスが違って見えたのよね。対策されてそうだと思ったっていうかさ。だからそのままボールをもらって、リバースでシュートした。いつもは結構入るんだけど、振り切れてもなかったしね、タフっちゃタフなシュートだったね」

 当時のプレイを思い出しながら私は話す。ペニサスは静かに紅茶を飲んだ。

 

29 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:43:35 [29/43]

 あの試合に負けた後、私たちは反省会をすることもなく、シャワーを浴びて着替えてチームとしては解散し、私はペニサスを含めた何人かとご飯を食べてカラオケで歌って家に帰り、すべてを放り投げるようにぐっすりと眠った。

 そして眠りから覚めた私たちは女子バスケットボール部員ではなく、ひとりひとりの受験生だったのだ。

 私たちの高校はどちらかといえば進学校で、高校3年生の私たちには大学受験が待っていた。志望校が同じだったわけではないけれど、私たちには勉強という共通の話題があって、わざわざ仲違いしかけた上に負けたバスケの試合について、口を開く必要はどこにもなかったのだ。

 そして、今日が大学生となった後はじめての会合だ。私は改めてペニサスの様子をまじまじと見つめる。

 

30 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:44:15 [30/43]

 肩にかからないくらいの長さに切り揃えられた髪は女子大生らしい明るい色で、色白でほんわかとしたペニサスの雰囲気に合っている。ざっくりとしたピンクのニットにその身を包んだ彼女がかつて盾役のようなインサイドプレイヤーだったとは誰も思わないことだろう。

 まだまだ10代の若さと大学生のお姉さん感を伴った、かわいらしくも落ち着いた出で立ちである。

 私もざっくりとした服に体型を隠してもらってはいるけれど、どういうわけだか色白というより青っちろく見えてしまうのだ。

 こちらはステキ女子からはほど遠い。

('、`*川「私たち、本日を持って引退します!」

川д川「普通の女の子に戻りたい!」

 そんな誓いをカラオケボックスで叫び合った私たちであったものだが、戻れる程度にはどうやら個人差があるらしい。

 私が騙された気分になるのを止める権利はおそらく誰にもないことだろう。

 

31 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:44:46 [31/43]

川д川「おや?」

 しかし私は気がついた。

 ペニサスの左手首にシリコンバンドが見えるのだ。

 見覚えのあるシリコンバンドだ。見覚えがあるから私はそれまで違和感をもたなかったし、カラフルでオシャレな服装の中に紛れていたらそれほど目立たないデザインであることを私ははじめて思い知った。

 それは、ペニサスがいつも試合中に装着していた、必勝祈願のシリコンバンドだったのだ。

('、`*川「ああこれ? やっと気づいたか」

 そんな私の視線を受けたペニサスは、ニヤリと笑って座り直した。

 

33 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:48:18 [32/43]

('、`*川「あたしも驚いたんだけど、普通の格好でバンド付けてもそんなに目立たないのよね」

川д川「それ、オシャレで付けてるの?」

('、`*川「まさか。本気で言ってる?」

川д川「流石の私もそうは思わない。でも、あんなにバスケはもうやめだって言ってたからさ」

 ペニサスは黙って紅茶を飲み干すと、カップを置いて肩をすくめた。

('、`*川「そうそう。バスケはやめだってあたしは言った。何度もね」

 カラオケボックスで普通の女の子に戻る宣言をした後、制服の下にジャージを着込むのをやめて受験勉強に取り組む中でも、ペニサスは一貫してバスケはもうやらないと言っていたのだ。

 

34 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:50:36 [33/43]

('、`*川「でもさ、やっぱりだめなんだよね。大学に入っても体育の授業ってあるじゃん、それでボールを触ってさ、触ったらだめだわ。バスケがやりたくなっちゃって」

 そしてペニサスは大学のバスケットボールサークルに入ったらしい。私たちが汗水垂らした修行のような部活ではなく、半ば遊びのサークル活動のひとつにだ。

('、`*川「あたし、実は今シューターやってんのよね。いやあシュートって楽しいわ」

川д川「まじか」

('、`*川「マジまじ。だってサークルで体張ってもしょうがないしさ、あたし元々小柄だし」

('、`*川「――それに、点取り屋をやってみれば、あの時のあんたの気持ちもわかるかもしれないな~と思ってさ」

 

35 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:50:56 [34/43]

('、`*川「あたしはずっとわかんなくてさ。セットを無視して打ったスリーは入って、レイアップは外れたじゃん。そして負けた」

川д川「それはその、所詮シュートが入るかどうかは確率だから」

('、`*川「もちろんそうだよ。でも、確率だから、って言うんだったら、それこそ決められた通りの動きにした方がいいと思わないわけ? なんだか蒸し返すようだけどさ」

川д川「本当にそうだね」

 私は笑ってしまってそう言った。飲み干されたきり注ぎ足されていない彼女のカップと自分のものに、ポットから紅茶を静かに注ぐ。

川д川「どちらかというと、打てる、とか、入る、って思った自分の直感に従わずに失敗する方が怖いかな、私は」

 

36 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:51:53 [35/43]

 シューターというのは変な役割だと私は思う。

川д川「だってさ、プロとか、それこそNBAの選手とかでも、スリーの成功率って4割くらいで、超うまい人でも半分も入らないんだよ」

 そんな不確かなもののためにチームが一丸となって動くのだ。

 自分のために体を張って追手を邪魔するスクリーナー。私たちが打ちやすいように、適切なタイミングで丁寧にボールを供給するパサー。囮の動きで何人もが動き回る。

 そうして巡ってきたボールをシュートする。皆の期待や労力に報いるためにも是非とも成功させたいものである。

 しかしながら、成功よりも失敗の方が多いのだ。

 普通の神経でできる仕事ではないと私は思う。

 

37 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:52:17 [36/43]

 そんな不確かな確率の中で、しかし私たちは働かなければならない。平常心でシュートを放ち、成功させなければならないのである。

 そんな中で助けとなるのは積み重ねてきた練習量と、経験と、それに伴う直感だ。判断と言ってもいいだろう。

 私は打てると判断したシュートは必ず打つ。それまでの試合の中で何本同じようなシュートを外していようと、頭が、いやこの体の細胞が、打つべきだと思ったシュートや取るべきだと思った行動は決して否定しないようにしているのだ。

川д川「それができなくなった時は、それこそシューターを廃業すべきと思うね」

('、`*川「ふうん。それじゃあ本当に気を使ったわけじゃあなかったんだ」

 

38 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:52:55 [37/43]

川д川「そうだよ。まったくしつこいなあ」

 私はニヤリと笑ってそう言うと、脇に置いていた紙袋をテーブルの上にどさりと置いた。今日ペニサスと会う前に購入していたアイテムだ。元々彼女と会うついでにこいつの話もしておこうと思っていたのだ。

('、`*川「――これは?」

川д川「開けてごらんよ」

('、`*川「なんだよ勿体つけちゃって。――これは!?」

 驚きの顔でこちらを見るペニサスに、私は肩をすくめて見せた。

 彼女が紙袋から取り出したのは、私が試合中に愛用していたのと同じ種類の新しいリストバンドだったのだ。

 

39 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:54:13 [38/43]

('、`*川「な、――なんでこんなの持ってるの?」

川д川「いや実は、私も現在大学生でさ」

川д川「大学って、必須で体育の授業があるじゃない?」

 笑って私はそう言った。

 まんまと授業でバスケットボールを触った私は、シュートを打ってみて非常に驚いた。

 はじめてボールを触るかのような感触がしたからだ。

川д川「よく訓練されたシューターって、投げた瞬間にすべてがわかる時があるのよね。このシュートはどういう軌道を通ってどうゴールしていくかをさ。そんな感覚的なものが、ごっそり抜け落ちてるみたいだった」

 

40 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:55:19 [39/43]

 それは私にとって驚きで、何よりとても大きな喪失感だった。

 なにもバスケにすべてを賭けていたわけではない。大した結果を残せてきたわけでもない。

 試合に勝った経験よりも負けた経験の方が豊富だし、シュートに成功した経験よりも失敗した経験の方が豊富である。直感に従った結果、チームメイトと衝突しかけ、試合にも負けてしまったこともある。

 それでも私の体に蓄積されたシュートに関する感覚は、かけがえのないものだった。

川д川「嫌だ、と思ったんだ。私は絶対にボールを放るあの感覚を、失ってしまうのが嫌だった」

川д川「だから、実は私もまたバスケをやろうと思ってたんだ」

 

41 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:55:53 [40/43]

('、`*川「じゃあ本当に――」

川д川「何よ?」

('、`*川「あれで嫌になってはいなかったんだね。あの試合も負けちゃって、そのまま引退になって、ずっと話せないままだったから、貞子がバスケが嫌いになってたらどうしようかなって、あたし、これまで思ってた」

川д川「しつこいなあ。そんなに私たち衝突したことなかったっけ?」

('、`*川「物理的には何度もあるけどね」

川д川「だってペニサス、スクリーンの角度がなんだかちょっと変なんだもん」

('、`*川「角度? はぁあ? そんなんはじめて言われるんだけど」

川д川「意外と肩幅もあるからさ。よくぶつかったものだったわ」

 

42 名前: ◆AIEizG9SiE 投稿日:2020/04/25(土) 11:58:30 [41/43]

('、`*川「何それ。うわー、今言うかねそんなこと」

川д川「言ったことなかったっけ?」

('、`*川「ないし」

川д川「まあいいじゃん、もう私とあなたじゃぶつからないから」

('、`*川「よくないし!」

 ぶつくさと文句を続けるペニサスをよそに、私は返してもらったリストバンドを装着してみた。良い具合だ。早くシュートを打ちたくなってくる。

 

43 名前: ◆AIEizG9SiE[] 投稿日:2020/04/25(土) 11:59:24 [42/43]

('、`*川「ちょっと貞子、聞いてんの?」

 ペニサスはそのほんわかとした雰囲気を捨ててぷんすか怒り狂っている。私はそれをかわいらしく思った。彼女を誘ってどこかで練習をするというのもいいかもしれない。

 一方彼女は文句を言い続けている。

('、`*川「あんたさあ、あんたも一回こっち側もやってみたら?インサイドの苦労も知れって。背も高いんだからさあ」

 ついにはそんなことを言い出したので、私はニヤリと笑って見せた。

川д川「嫌だよ、私はシューターだ。シュートを打って点を取る」

 それよりいい加減ケーキ食べようよ、とペニサスを誘うと、彼女はかわいく憤慨していた。面白いやつである。

 そのうち練習に誘ってみよう。頭と体で私は決意し、チョコレートケーキにフォークを刺した。


   おしまい