何が面白いと感じるのかという話

 どうやら私は上昇していくことに対してもっとも面白みや幸福を感じるようです。

 考えてみればスポーツ漫画で好きなのは特訓のシーンですし、バトル漫画で好きなのは修行のシーンです。『スラムダンク』を例に挙げると、もちろんヤマオー戦はとても面白いのですが、それよりジャンプシュートをひたすら練習するくだりにたまらなく魅力を感じるのです。

 それはつまり上手になっていってる感であるとか武器が増えていってる感であるとかいったところにグッときているのだと思います。『ドラゴンボール』なんかもナメック星に向かう悟空が死にかけては仙豆かじって頑張っているくだりがとても好きです。『あひるの空』の合宿もとてもよろしい。

 私は『Civilization 4』が好きなのですが、やはり劣勢から劣勢への変化であろうとも、だんだんスコアが伸びていっている時期がとても楽しいと思います。

 つまりその瞬間における位置が大切なのではなくその変化の仕方が大切なのだということです。数学的な表現をすれば、関数より導関数の方が大切なのです。

 私は私の価値観しかもてませんので想像するしかないのですが、こういう人は少なくないのではないでしょうか。

 もし私の妄想が正しいとするならば、幸福を感じるには不幸である方が簡単であるということになります。平凡な状態から優れた状態に移行するのはそれなりに難しく、優れた状態からより優れた状態に移行するのは至難の業であると思います。それに比べて劣った状態から平凡な状態に移行するのはたいてい易しい。

 というわけで、手っ取り早く面白い話をこしらえようと思ったら主人公をとりあえず不幸にするに限ります。そしてその後段々と改善してあげれば良いのです。

  しかし私はこういう話の作り方がへたくそです。おそらく自分の好みがわかっているので、あえてその通りに物語を進めることにあざとさやわざとらしさを感じてしまうのでしょう。燃える展開のようなところも同様の理由でへたくそです。

 そんなわけで、「こういう話をこしらえたいなあ」と漠然と考えるものはたいてい実現不可能です。ハメられた主人公が頑張ってのし上がってハメた相手に復讐する、エドモン・ダンテス的ストーリーなんかもこしらえてみたいのですが、実現する日は果たしてやってくるかしら。