('A`)の話のようです1-9. 代償と対価

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1-9. 代償と対価

 


1
 
 少年はその名をモララーといった。
 
 正確には、僕は言ってはもらえなかった。初対面で彼は僕に名前を明かそうとしなかったのだ。
 
('A`)「ええと、ドクオです。よろしくね」
 
 おずおずとはじめましての挨拶をした僕をモララーは完全に無視し僕のことを軽く紹介してくれた金髪の女子高生へと体当たりをするように駆け寄ったのだ。
 
ξ゚⊿゚)ξ「あらあらうふふ。ほら、モララー挨拶しないと」
 
( ・∀・)「挨拶、ンなーい!」
 
ξ゚⊿゚)ξ「しょうがないわねえ」
 
 まったくしょうがなくなさそうな表情で3歳児の頭を撫でるツンにこちらから抗議する気にはならず、僕はただ行き場を失った歓迎の気持ちをいったいどのように処理すれば良いのか途方に暮れるばかりだった。
 
 このモララーという幼稚園児はジョルジュの弟であり、僕がこれからジョルジュの部活か彼らの母親の仕事が終わるまでの間お世話をさせてもらう対象である。
 
 僕とツンは並んで歩き、モララーを幼稚園まで迎えに行っていた。
 
 
2
 
ξ゚⊿゚)ξ「人見知りする年ごろだろうし、しょうがないわね。早く仲良くなりなさい」
 
('A`)「努力はするつもりだけどさ、正直どんな努力をすればいいのかもわからないな・・」
 
 僕とツンはモララーを挟むような形で並んで歩き、幼稚園から長岡家の住むアパートまでを移動している。モララーは完全にツンとしか手を繋ごうとせず、心なしかその位置取りも、彼女の方に寄り添って足を進めているように僕には感じられた。
 
 子供の喜ぶ話題など僕はひとつも持っていないし、どのような接し方をすれば気に入られるのか皆目見当がつかないのである。あちらから何かして欲しいことを伝えてくれるのであれば、それに応えるというのもやぶさかではないが、こちらから仲良くなるための働きかけを考えるというのはほとんど無理難題と言って良いだろう。
 
 おそらく、滅多に会わない親戚がたまに会うとお小遣いをくれがちなのは、こうした理由によるものなのだろう。コミュニケーション・ツールとしてのお年玉は日本人の編み出した大いなる知恵なのかもしれない。
 
ξ゚⊿゚)ξ「――何を考え込んでるの?」
 
('A`)「いや、先人は賢いな、なんて思ってた」
 
ξ゚⊿゚)ξ「何言ってんのかわからないけど、ほら、手を取って歩いてごらんなさい。モララーお兄ちゃんと歩いてあげてくれない?」
 
( ・∀・)「いいけどォ?」
 
 礼を言って繋がせてもらったモララーの手は柔らかく、驚くほど小さく暖かかった。
 
 
3
 
('A`)(小っさ! オモチャみたいだ・・)
 
 捻ったら簡単に千切れてしまいそうな子供の手を握り、僕は強く握りすぎてはいないだろうかと気を揉みながら足を進める。すると、すぐにそのような気遣いをするべきではないと僕は思い知ることになった。
 
( ・∀・)「見て、バッタよ!」
 
 呟くようにそう言ったモララーは、体重を利用しながら体を捻るようにして、小さなその手を僕の束縛から容易に解き放ったのだ。
 
 あまりの滑らかなその動作に僕の反応が一瞬遅れる。その一瞬の内に活発な3歳児は地面を蹴って全力疾走の体勢に入っていた。
 
( ・∀・)「バッタ待て~ぃ」
 
(;'A`)「ちょっ」
 
ξ゚⊿゚)ξ「待つのはおまえだ」
 
( ・∀・)て「うぐぅ!?」
 
 きわめて俊敏な第一歩によりツンはモララーへ手を伸ばし、文字通りの首根っこ、正確には着ているシャツの奥襟を掴んでその動きを制止させていたのだった。
 
 
4
 
ξ゚⊿゚)ξ「危ないわねぇ、まったくもう」
 
( ・∀・)「だめよォ バッタいっちゃったよォ!?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「いっちゃったね。バッタにバイバイした?」
 
( ・∀・)ノシ「バッタ バイバ~イ」
 
 ダッシュを阻止されたことに対する憤りはどこへやら、にこやかに小さな手をひらひらとさせる幼稚園児は何ともいえない可愛らしさをしていた。
 
 しかしツンがこちらを向いている。そしてモララーの手を再び僕に握らせるのだった。
 
ξ゚⊿゚)ξ「ほら、動き出す予兆がわからないうちは、手首でもがっしり掴んでなさい」
 
('A`)「・・誘拐が発覚した時の根拠で、その犯人が子供の手ではなく手首を掴んでいたからだった、って事例がなかったっけ?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「・・・・」
 
('A`)「・・・・」
 
 僕が不当に咎められる危険性がいくらか増すのだとしても、子供への危険を少しでも減らすことができるというなら、それはどう考えても僕がするべきことだった。
 
 
5
 
 『めぞん高岡』はアパートという文言から想像するイメージとは少し違った、小ぎれいな2階建ての建物だった。
 
ξ゚⊿゚)ξ「モララーモララーのお家どこ? お兄ちゃんに教えてあげて」
 
( ・∀・)「こっちよ~」
 
 意気揚々と足を進めるモララーに手を引かれ、僕もその敷地に足を踏み入れる。すぐにそのアパート一帯を侵入者から守る入口の扉へ到達した。
 
( ・∀・)「開けて!」
 
ξ゚⊿゚)ξ「これがあたしたち用の鍵。これまではハインかあたしのどちらかが持ってたから所在が明らかだったんだけど、あんたも入るならシフトをちゃんと把握できるようにしないとね・・」
 
 そう言い、首から下げていたアパートの鍵を制服の下から引き抜くと、ツンはそれを首から外して手渡してきた。反射的にそれを受け取った僕は、それまで少なくとも制服の下に収められていた金属片の温もりを右手に感じてしまうのだった。
 
 僕の右手に自分の体温の名残が伝わっていることをツンはどうとも思っていないらしい。促されるまま僕はその鍵を鍵穴に収め、特定の手ごたえが伝わってくるまで時計回りに力を加えた。
 
 
6
○○○
 
 ジョルジュから出された要求は彼の弟の世話だった。クーはそれを笑って了承したが、僕にとってはなんとも不思議な要求だった。
 
 正確に言うと、不思議というのはかなり控えめな表現だ。はっきり言って僕は恐れおののいていた。
 
(;'A`)「弟いるんだ・・いやそれはいいんだけど・・ええと、何て言えばいいんだろうな」
 
 だって僕らは高校2年生である。その弟と言われて連想する年の頃はせいぜい中学生か、離れていても小学生で、大きな介助を必要とする彼の状態が一体どのようなものなのか、皆目見当がつかないのだった。
 
 これも正確な表現ではない。僕に想定可能な彼の状態は、何らかの原因によってたとえば寝たきりの生活を送っている、といったような、いわゆる障害者のものだった。
 
 さらに言うなら、その障害が肉体的なものではなく、精神的なものなのかもしれないとさえ僕は頭に浮かべていた。これが本来正されるべき偏見なのだとしても、実際そう思ってしまうのだから、少なくとも現時点では仕方ないというものだ。
 
 何をどうやって訊けばいいんだろう?
 
 渇く喉を紅茶で湿らせていると、クーがジョルジュに訊いていた。
 
川 ゚ -゚)「話としては面白そうだが、ひとの世話をするとなると、色々確認しておいた方がいいだろうな。特にお互いの保護者には話を通しておかなければならないだろう」
 
 
7
  _ 
( ゚∀゚)「あ、はい、それはもちろんです」
 
川 ゚ -゚)「わたしたちはまだ学生で、責任能力がないからね。ツンさんやハインさんはどのようにしているのかな? というか、ジョルジュくんの家の家族構成やその内容を聞いた方が話が早いかもしれない」
 
 もちろん必要に応じて話せる範囲でいいけどね、と落ち着いた口調で話すクーは、いつもこの家で見せる娯楽好きの怠惰な姉の顔ではなく、医療系の学部に通う女子大生の顔をしているように僕には見えた。僕に比べてずっと大人だ。
 
('A`)(保護者への根回しか・・思いつきもしなかったぜ)
 
 どうやら僕に対して比較的保護者側の立場にいるクーが色々と確認してくれるようなので、僕はしばらく“見”に回ることにした。
 
 もっとも、メインは見るより聞くことなのだけれど。
  _ 
( ゚∀゚)「家族構成は、母、ぼく、弟、の3人です。父はいません。母は薬剤師をしています」
 
川 ゚ -゚)「あら奇遇」
  _ 
( ゚∀゚)「本当ですよね。びっくりですけど、実は母はそうなんです」
 
川 ゚ -゚)「薬局?」
  _ 
( ゚∀゚)「病院です」
 
 僕には彼らの会話の内容がよくわからなかったのだが、クーがとても満足そうに頷いていたので気にしないことにした。
 
 
8
  _ 
( ゚∀゚)「それでまあいわゆるシングルマザーの家庭をしているわけですが、弟の世話はしなければならないので、ぼくがバスケを続けるには誰かの助けが必要だというわけです」
 
川 ゚ -゚)「それがツンさんとハインさんだ、と」
  _ 
( ゚∀゚)「そうです。助けてもらってます」
 
川 ゚ -゚)「お母さんはそれについては何と?」
  _ 
( ゚∀゚)「そういうのもいいかもね、って感じでした」
 
川 ゚ -゚)「うは、軽いな! ちょっと笑っちゃったよ」
  _ 
( ゚∀゚)「いやまあ本当そうですよね。本心がどうなのかはわかりませんが、助かるわ~って言ってましたよ」
 
川 ゚ -゚)「そりゃあ助けてるわけだからね」
  _ 
( ゚∀゚)「違いない。でも、海外なんかじゃあベビーシッターとか子供の世話を学生バイトがするのってそこまで問題視されてないじゃあないですか。だからぼくらもそこまで危険だとは思っていないんですよね」
 
川 ゚ -゚)「ん、ベビーシッター?」
 
('A`)「・・子供の世話?」
 
 
9
 
 あまりの引っかかりに思わず口を挟んでしまったが、確かには今、ジョルジュは弟の話を赤子や幼児の世話に喩えた。
 
 ――つまり?
 
('A`)「お前の弟って、その・・何歳なんだ?」
  _ 
( ゚∀゚)「3歳だけど?」
 
(;'A`)「さんさい!?」
  _ 
( ゚∀゚)「おう。言ってなかったっけ?」
 
(;'A`)「知らねぇよ! 3歳? え~!?」
 
川 ゚ -゚)「ずいぶんと歳の離れた兄弟だな」
  _ 
( ゚∀゚)「あぁそうですね。なんだか自分のことなんであんまり変に思っていませんでしたわ。慣れですな、ハ!」
 
(;'A`)「・・ブーンは知ってたのか?」
 
(;^ω^)「いや~知らんかったお。でもそれならそれこそベビーシッター的なものを頼めばいいんじゃあないのかお?」
 
 
10
  _ 
( ゚∀゚)「さすがにそこまで金はねぇ。ここらにちゃんとした学生ベビーシッター文化はないからな。保育園に入れりゃよかったのかもしれねぇけどよ、抽選にあぶれちまってな。ハハ! 通ってる幼稚園には最大限お世話になってるが、それでも限界があんだよな」
 
川 ゚ -゚)「薬剤師の働き方は融通が利くだろうから、どうとでもなりそうだけどな」
  _ 
( ゚∀゚)「それはおれが嫌でした。――今の仕事が、なんというか、とても充実しているようなので」
 
川 ゚ -゚)「お母さんには充実した仕事を続けてもらいたい、と?」
  _ 
( ゚∀゚)「というか、なまじ仕事を変えてそっちに情熱を注げなくなったら、面倒くさいことになりそうな予感がしましてね」
 
川 ゚ -゚)「――」
  _ 
( ゚∀゚)「――」
 
川 ゚ -゚)「――シングルマザー環境下で10以上離れた弟ができちゃうわけだものな」
  _ 
( ゚∀゚)「モテるんですわ、これが! ハハ!」
 
 おれが言うことじゃあありませんけど、と明るく笑うジョルジュに強がっている素振りは見られなかった。
 
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川 ゚ -゚)「何にせよ、当事者たちが納得していて、その保護者も了承しているのであれば、わたしたち外野がとやかく言うことではないだろうな。・・うちの親も、それほど問題視はしないんじゃあないかと思う」
 
('A`)「・・しないだろうね。むしろ、そんな年の離れた兄弟の話を聞いて、ふたりの仲が刺激を受けないかの方が心配だな」
 
川 ゚ -゚)「げろげろ。それはぞっとしないな」
 
 僕とクーは顔を見合わせ、おそらく同じような気持ちでため息を吐いた。
 
( ^ω^)「ええと、それじゃあそれで決定ですかお?」
 
川 ゚ -゚)「ん? ああ、まだ確認は必要だけれど、おそらくそういうことになるだろうな」
 
('A`)「僕としては、子供のお世話なんか自分にできるかどうかがとても不安だ」
  _ 
( ゚∀゚)「最初からひとりはキツいだろうから、ツンに連絡を付けて色々教えてもらうようにしてやろう。頑張れよ」
 
('A`)「――それは」
 
 どういう意味で、と訊きそうになる自分の心を、僕はどうにか押しとどめたのだった。
 
 
12
○○○
 
 こうして僕はモララーの世話をすることになった。
 
 モララーとの初対面は先ほど話した通りの散々たるものだった。さすがはジョルジュの弟といった次第であり、僕はこの、顔だけは非常に整っている可愛らしい3歳児とこの先仲良くやっていけるか不安になった。
 
 とはいえ今日はツンと一緒だ。初めての共同作業と言い張るには僕に技術が足りなさすぎるが、いずれ僕がベビーシッティングに熟達してきた暁には共通の話題を大いに提供してくれることだろう。
 
 あるいはそうした僕のツンへの感情を、あの熟達したバスケットボールプレイヤーは利用しているのかもしれない。それならそれでいいだろう。
 
('A`)(――ある意味、僕も彼らのこの環境を、ツンとの接点として利用しているんだ)
 
 そんなことを考えながら、僕は風呂場でモララーの頭をガシガシと洗っていた。
 
 仕事を終えたシャンプーの泡をシャワーで流し、続いて体を洗っていく。背中から始まり臀部、胸部、腹部と、モララーの体の裏表を上から下へと洗っていく。
 
('A`)(――さぁて、いよいよおティンティンである)
 
('A`)「ツンはいつもこのチンコをどんな風に洗ってるの?」
 
 そのように爽やかに訊くことができればあるいは楽しめたのかもしれないが、僕はとりあえずおざなりな洗浄をしておくに留めることにした。そして後で幼児の局部洗浄事情について調べておこうと心に決めた
 
 
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ξ゚⊿゚)ξ「モララー、お兄ちゃんのお風呂はどうだった?」
 
( ・∀・)「悪くないねぇ」
 
 湯船に浸かった幼稚園児はそう言った。それを聞いたツンは小さく笑い、僕に向かって肩をすくめて見せたのだった。
 
ξ゚⊿゚)ξ「お褒めの言葉よ。あんたも一緒に入ってもいいけど?」
 
('A`)「・・ツンは一緒に入ってるのか?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「そんなわけないでしょ」
 
('A`)「だよね」
 
 上着と靴下を脱いで上下の袖をまくれるだけまくった格好で僕はモララーの洗浄を行ったのだ。技術的な指導のためにツンが見守る中、少年と入浴を共にする気にはならなかった。
 
 もしかしたらと思ったが、ツンも長岡家でついでに入浴をしたりはしていないらしい。当たり前のことだろう。
 
 しかしながら、ツンも今の僕と同様に、ブレザーと靴下を脱いだ制服姿で入浴の世話をしているのだろう。端的に言ってエロい。僕は腕まくりをして裸足で仕事するツンの姿を頭に浮かべて一通り、それはそれで楽しんだ。
 
 
14
 
 ツンが用意してくれたタオルで濡れた手足をぬぐい、僕は彼女にこの後の段取りについて確認しておくことにした。
 
('A`)「風呂から上がったらご飯?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。簡単なレシピじゃなければ流石にイチから作ってる余裕はないから、必要に応じて作り置きをしておいたり、前日の内に仕込んでおいたりするの」
 
('A`)「・・3歳児って何食べてるの?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「特別辛かったりしなければ大抵何でも食べるわ。今夜は何も仕込んでないから簡単に焼きそば。あんたも食べる?」
 
('A`)「それは有難い話だね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「それじゃああたしは料理するから、あんたはモララーの気が済んだらお風呂から上げて服を着させてあげて」
 
 着替えはこっちよ、と促すツンの指示に僕は従い、モララーの着用する下着とパジャマを用意した。バスタオルもよし。お風呂のオモチャでひとり遊んでいるモララーを眺めていると、遠くで調理の音がする。
 
 なんとも家庭的な状況だ。大人になった自分の世界にタイムスリップしたような気持ちにすらなるというものだ。3歳児を我が子に見立て、僕は優しく声をかけてみる。
 
('A`)「モララーくん、そろそろお風呂から上がるかい?」
 
( ・∀・)「上がらンな~い!」
 
 その返事はなんともつれないものだった。
 
 
15
 
 結局、僕はモララーの指がふやふやになるまでお風呂で遊ばせ、そろそろ上がらせなさいとツンに言われるまでぼんやり過ごした。立派な指示待ち人間だ。
 
ξ゚⊿゚)ξ「モララー、そろそろ上がりなさい! のぼせちゃうわよ」
 
( ・∀・)「あがるンな~い」
 
ξ゚⊿゚)ξ「今すぐ上がらないとご飯食べられないわよ」
 
( ・∀・)「ごはん!」
 
 夕食を人質に取られた3歳児の動きは俊敏で、あやうく僕はずぶ濡れのまま廊下に出させてしまうところだった。
 
 キャッチだ とうっ、とばかりに裸体をバスタオルで受け止められたことを確認すると、ツンは再びキッチンへと戻っていった。僕はモララーの頭をガシガシと拭き、一刻も早くこの束縛から逃れようとする幼児のパワーをなんとかコトロールしてみせる。
 
( ・∀・)「もういい! 離せェ」
 
('A`)「さすがに風邪を引いちゃうだろうから、それはちょっと許されない」
 
 恨むなら自分か神様にしてくれ、と僕は心の中で呟き、この場合は神様よりも冬に近づいている季節を恨むべきかもしれないな、と勝手に思いを巡らせるのだった。
 
 モララーは口を尖らせながらも僕にパジャマを着させてくれた。
 
 
16
○○○
 
('A`)「――と、まあ、そんな感じで、僕はお仕事してきたわけだよ」
 
(,,゚Д゚)「ほーう、いやいやなかなか、その歳で子育てを経験するとはな!」
 
(*゚ー゚)「ご迷惑をかけなかった?」
 
('A`)「どうかな、今のところ苦情はないけど」
 
(,,゚Д゚)「大変だったか?」
 
('A`)「大変だった。ふたりであれだったんだから、ひとりでやることを思うとゾッとするね」
 
 家の方針や事情もあり、家事仕事に慣れている筈の僕はそう言った。本心だ。ちらりと母の方に目をやると、澄ました顔でビールの入ったグラスを傾けている。
 
 僕は母さんの空いたグラスに追加のビールをお酌した。
 
(,,^Д^)「ギコハハハ! 母さんに感謝する気になっただろう!」
 
 素直に父の言葉を認める代わりに、僕は彼らに肩をすくめて見せることにした。こちとらまだまだ多感な若者なのだ。ふと溢れたようなタイミングでもなければ親への感謝を言葉に出すというのは非常に難しいことである。
 
 
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 長岡家から帰宅した僕を待っていたのはこの両親だった。
 
 大学教授をしている父も、病院看護師をしている母も、基本的に帰りの時間は安定しない。それがこうして揃って常識的な時間に家にいるというのは、笑ってモララーの世話に許可を出した彼らも少なからず心配してくれていたということなのかもしれない。
 
 日頃とこれまでのお礼を口に出さない代わりに、そうした彼らの気遣いをあえて指摘することもせず、僕は家にある食料品から簡単なお酒のツマミを用意して提供した。
 
 すると、そのツマミに引き寄せられたかのように、まさにそのタイミングで姉のクーが帰宅したのだった。
 
川 ゚ -゚)「ただいまぁ~っと。お、ナス味噌あるじゃん、素晴らしい」
 
('A`)「作り置きだけどね。ご飯食べるなら他にも何か作ろうか?」
 
川 ゚ -゚)「いやビール。ビールがあればそれでいい」
 
('A`)「ナス味噌はどこにいったんだよ・・」
 
(*゚ー゚)「ビールなら私と分け合う?」
 
川 ゚ -゚)「その天才的発想にわたしは震える」
 
('A`)「アル中じゃねぇか」
 
 大きくひとつ息を吐き、僕はクーの分のグラスを用意した。
 
 
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川 ゚ -゚)「お母さんありがとう。それで、ドクオ、初めての子守はどうだった?」
 
('A`)「まったく思い通りにいかなかったよ」
 
川 ゚ -゚)「ふふん。育ててくれたお母さんに感謝しておくんだな」
 
('A`)「さっき父さんにもそれ言われたよ。まったくもう」
 
 クーは指摘されることを好まないが、この父と姉は色々なところが似ている。僕は改めてそれを実感した。
 
 すると、同じタイミングで実感していたのかもしれない母さんが笑ってそれを指摘した。
 
(*゚ー゚)「やっぱりあなたたちよく似ているわ。ドクオが子育ての話なんかするものだから、なんだか色々思い出しちゃった。本当に、全然思い通りにならなかったものだわ」
 
('A`)「思い出爆弾で僕を攻撃するのはやめて欲しいな」
 
(*゚ー゚)「ふふ。それで、どこまでがあなたたちの担当だったの?」
 
('A`)「――ああ、モララーの話? 幼稚園に迎えに行って、お風呂に入れて飯を食わせて、モララーと後片付けしたり遊んだりしながら時間を潰して、ジョルジュが部活から帰ってくるか、おばさんが仕事から帰ってきたらおしまいだよ」
 
 
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 口に出してみて僕は気づいた。とても多大な労働に思えた本日の僕の働きぶりが、言葉にすると何でもないことのように思えるのである。
 
('A`)「――う~ん、これは世のお母さんたちが不理解に憤るのも無理ないな」
 
川 ゚ -゚)「ひとりで何言ってんだお前?」
 
('A`)「今のクーには話しても理解を得られないかもしれないことさ。僕はひとつ大人になったのかもしれない」
 
川 ゚ -゚)「自分で大人になったかもしれないとか言ってる内は間違いなく子供だな」
 
 ナス味噌をつつきながらビールグラスを口に運びそう言うクーに対して僕にできたのは、せめてぐうの音だけは忘れず出しておくことくらいだった。
 
('A`)「ぐう」
 
川 ゚ -゚)「――それで、続けるのか?」
 
('A`)「そうだね、少なくともしばらくは。よっぽど嫌になることがない限りはね」
 
 
20
 
 いいよね、と親への許可を目で訴えた僕に、母さんは小さく頷いた。
 
(*゚ー゚)「どうぞどうぞ。――ただ、無責任なことはしないようにね」
 
('A`)「何かあったら相談するよ」
 
(,,゚Д゚)「それでウチのことができなくなるようなら、それはそれで構わないから、ちゃんと事前報告するようにな」
 
('A`)「了解。これまで通りに続けるつもりだけど、知らずにクオリティが落ちてるようなら指摘してね。それで改善されないようならクビにしてくれても構わない」
 
川 ゚ -゚)「それは任せろ、わたしの得意分野だ」
 
('A`)「お前こっちの家にほとんどいないだろ」
 
川 ゚ -゚)「ふふん」
 
 クーにグラスの傾きで要求され、僕はそこにビールを注ぎ足した。
 
 
21
○○○
 
 こうして僕の週1子育て生活は始まった。
 
 土日は基本的に長岡親子で何とかなるので、僕らの担当は平日の5日だ。これまではツンとハインで3日担当の週と2日担当の週が交互になるようにシフトのようなものを組んで対応していたらしい。
 
( ^ω^)「ふ~ん、そこにドクオが週1で入ったことで、2-2-1みたいなシフトになるのかお」
 
('A`)「週2と週3の負担はかなり違うらしい。想像しかできないけど、まあそうだろうな。単純に考えて2と3じゃ1.5倍になるわけだしさ。何はともあれ、ツンたちの助けになれるならよかったよ」
 
( ^ω^)「ドクオもそれで納得してるならよかったお」
 
 いつものお昼休みにいつもの柔和な表情で、ブーンは僕にそう言った。僕はそれに頷いた。
 
 ひとつの話題をまとめて終わりにするようなやり取りだ。僕は長岡家トークの終わりを感じ取り、続いて迫り来ているそれなりに大きなイベントである学園祭や、その後に待っているのであろう期末テストの話でも始めようかと思っていた。
 
 しかし、ブーンはなおも子育ての話を続けたのだった。
 
 
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( ^ω^)「そういや子供のお世話の中で、一番大変なパートって何だお?」
 
('A`)「いちばん? う~ん、そうだな・・料理かな、やっぱり」
 
( ^ω^)「料理かお」
 
('A`)「いや確かに僕は料理は慣れてるけどさ」
 
 ブーンは僕のバイト先である飲食店『バーボンハウスの完全なる身内だ。そこである程度鍛えられているであろう料理が一番大変であるというのは何とも言いづらいことだったが、事実として僕は素直にそう言うことにしたのだった。
 
('A`)「実際やっぱり他人の、しかも子供の食べ物となると内容も考えちゃうし、毎日同じものってわけにもいかないしさ、大変は大変なんだよ」
 
( ^ω^)「把握」
 
('A`)「なんで言い訳みたいなことをしてるんだろうね僕は?
 
 まったくもう、と僕は苦笑でこの話題を押し流そうと試みた。そんな僕に意外だったのは、ブーンがなおもこの話を続けようとしたことだったが、その内容もまた、なかなかに想定の範囲外のものだった。
 
 
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( ^ω^)「いや、僕も何かお手伝いしようかと思ってたんだお」
 
('A`)「ブーンが?」
 
( ^ω^)「僕です」
 
(;'A`)「ええと、それはどういう?」
 
 半ばしどろもどろになって僕はブーンにそう訊いた。何故って、僕は長岡家仕事の中ではぶっちぎりで新入りの下っ端だ。まだ仕事の流れも十分体に染みついてなどいない。もちろんその分担に対する決定権みたいなものは、欠片さえも持っていない。
 
 そんな僕にお手伝いの提案をしたところで何も話が進みはしないのだ。それをこの成績優秀な上社会的な経験も積んでいる秀才がわかっていない筈がない。そして、この問題を解決するのはまったく難しいことではない。
 
(;'A`)「――というか、ツンかジョルジュがいるところで言った方がいいんじゃないの?」
 
( ^ω^)「まあ、それはそうなんだけど、実際手を動かすのは僕かドクオになりそうな話なんだお。だから先にドクオの考えを訊いとこうと思ったんだお」
 
 お前の手伝いの手伝いを僕がやることになるのかよ、と頭に浮かんだ言葉を僕は注意深く飲み込んだ。
 
 
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('A`)「――聞こうか」
 
( ^ω^)「まあ話は単純で、料理が大変なんだったら、そこはウチからある程度提供できるんじゃないかと思うんだお」
 
('A`)「ウチって、『バーボンハウス』のことか?」
 
( ^ω^)「そうだお。僕やドクオが働く時ってまかない作るお? それを多めに作っといてもいいし、別の機会にお弁当的にこしらえてもいいし、とにかく何らかの形でお料理を持っていくことができるんじゃないかと思うお」
 
('A`)「確かにな。――作り置きの副菜提供とかだけでも結構助かる気がするな」
 
( ^ω^)「ざくっと肉焼くとかならお家でやればいいけど、たとえばハンバーグのタネを仕込んどくとかだけでもかなり楽になるんじゃないかお?」
 
 もちろん親父の許可をこれから取らないといけないんだけど、と続ける男の表情は変わらず柔和で、そこには少しの気負いも僕には感じられないのだった。
 
 こいつのことだ。うまく父親を巻き込んで言いくるめ、料理の仕込みや提供をも担当させてしまうつもりなのかもしれない
 
 
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( ^ω^)「話の流れ次第でひょっとしたら親父に全部押し付けることもできるかもしれないけど、基本的には僕とドクオで何とかやってお店に迷惑はかけない、ってテイで話を進めていくから、そのへんの覚悟というか、もし上手くいかなかった場合の負担はお願いするかもしれないお」
 
('A`)「なるほどね。どう考えてもトータルでの負担は軽減されそうだし、いいぜ、好きに話してくれよ」
 
( ^ω^)「おっおっ、それじゃあ最悪ドクオが全部負担にすることになったら、それはそれでお願いするお」
 
('A`)「全然話が違うじゃないかよ。・・でもまあいいぜ」
 
( ^ω^)「いいのかお!?」
 
 すべてを僕が被ることになり得る提案を飲まれるとは思っていなかったのだろう。冗談めかした口調だったブーンは少し焦っているようだった。
 
 何とも愉快なことである。
 
('A`)「だってお前が交渉して得るのは『バーボンハウスを利用させてもらう権利のようなものだろう? 気にくわない条件だったら僕らが使わなければいいだけだ」
 
 肩をすくめて僕はそう言い、ブーンと目が合うと僕らは小さく笑い合った。
 
 
26
○○○
 
 結局、人助け、それも身内の子どものお食事ケアという大義名分を用意して行ったブーンの交渉が失敗に終わる筈もなく、僕らは『バーボンハウスの全面的な理解と援助を得られることになった。
 
 内藤ホライゾンさまさまである。
 
ξ゚⊿゚)ξ「いやあ、おかげさまで、だいぶ楽になりました」
 
 本日僕は、とある体育館の観客席にツンと並んで座っている。そしてそれだけですべての労が報われかねない言葉をツンから賜っていたのだった。
 
 前回と同じくジョルジュの試合の観戦だ。違っているのは、同じ並びにブーンやハインといった同級生がいないことと、催されるイベントがVIP国体ではなくウィンターカップという大会の予選であること、それに伴い会場が比較的小さな体育館であることである。
 
 そして前回と同じなのは、僕はツンとふたりきりになれてはいないということだった。
 
 僕とツンに挟まれるようにして客席に座り、モララーがサンドイッチを食べていた。
 
 
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 もっとも、比較的小さいと感じるのは、比較対象がVIP総合体育館だからだろう。僕らの今いる体育館もおそらくは名のある立派な会場である。
 
 施設名こそ僕は知らないが、その規模の大きさは、観客席での飲食が禁止されていないほどであると言えば伝わるだろうか。ツンからその情報を得た僕らはモララーも交えてサンドイッチを作成したのだった。
 
 具材を切って用意するのは僕の仕事、サンドイッチ仕様に薄切りのパンへマーガリンやマヨネーズを塗るのはツンの仕事、そしてそのツンの介助を利用しながら好きな具材をパンへ挟んでいくのがモララーの仕事だった。
 
 自分の好みに完全にマッチングされたサンドイッチを食べるモララーの目は輝いている。
 
ξ゚⊿゚)ξ「どうだねモララーくん、自分で挟んだサンドイッチは美味しいかね」
 
( ・∀・)「うん、凄い。すごい味よ!」
 
(;'A`)「すごいあじ・・」
 
ξ゚⊿゚)ξ「この子の最上級の誉め言葉はこれなのよ。普通その表現は悪い意味になりそうだけどね」
 
( ・∀・)「すごい味よ! ツンも食べてみて!」
 
ξ;゚⊿゚)ξ「そうきたか。・・どうもありがとう」
 
 礼を言ったツンは得意げなモララーから、3歳児の全力で握りしめられたかつてサンドイッチだったものを受け取った。
 
 
28
 
( ・∀・)「おいしい? ねえツンおいしい?」
 
('A`)「訊く方は美味しいで訊くんだ」
 
ξ゚⊿゚)ξ「モララーの作ったサンドイッチおいし~☆」
 
( ・∀・)「でしょ! ドクオもどうぞ!」
 
('A`)「どうもありがとう。・・うん、そうだね美味しいよ」
 
( ・∀・)「すごい味よ! ばんざい!」
 
 モララーは誇らしそうにそう言うと、トマトの水気とマヨネーズの油分でベドベドになった両手を高く掲げてサンドイッチの成功をここに宣言した。
 
 その手で自分の頭に触られてはたまらない。僕とツンは大慌てでその両手をウェットティッシュでぬぐい清め、このバスケットボール観戦にまったく興味を示さない3歳児をなんとかコントロールしながらジョルジュの勇姿をちらちらと眺める。正直言って、まったく試合に集中できる状況ではなかった。
 
 そして試合に集中できない理由はもうひとつあった。たまたま発見したのだ。コートを挟んで反対側の席になるが、クーと貞子さんがこの試合会場に来ているのである。
 
 彼女たちが僕らの存在に気づいているのかどうかは知らないが、とにかくその姿に気づいた僕は飛び上がりそうなほど驚いたものだった。
 
 
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 こちらは子連れかつ女連れだ。どう考えても僕からアプローチはしたくない。
 
 あちらは僕らに気づいていないのか、もしくはいくらか事情を慮ってくれたのか、とにかく近寄ってきて話しかけられたり、突然電話がかかってくるようなことはなかった。僕は無事に本日ジョルジュが出場する試合を観終えられたことに安堵した。
 
ξ゚⊿゚)ξ「・・なんとか最後まで観ることができたわね」
 
('A`)「どうする? って、帰るしかないか。そろそろマジで限界みたいだもんな」
 
 少なくとも僕とは初めてとなるお出かけに疲弊したのか、少し前からモララーの態度はあからさまに不機嫌なものとなっていたのだ。僕はその変化に驚くばかりだったが、ツンは即座に「眠いのよ」と断じていたわけである。
 
ξ゚⊿゚)ξ「今すぐ出ればそこまで混まないかもしれない。バス停まで抱っこできる?」
 
('A`)「できる、と思う」
 
ξ゚⊿゚)ξ「モララー、もう歩けないでしょ? お兄ちゃんに抱っこしてもらおうか?」
 
( -∀-)「抱っこォ」
 
ξ゚⊿゚)ξ「この肉塊以外の荷物はあたしが持つからよろしくね」
 
 まあ3歳児だし、と高をくくってモララーを抱っこした僕はあまりの重さに驚いた。そして完全に脱力した人間は驚くほどに重いとどこかで聞いた話を思い出す。
 
 それはまさに驚くほどの重さだった。
 
 
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 幸いなことにバス停は空いており、やがて来たバスもまた空いていた。
 
ξ゚⊿゚)ξ「まあこのタイミングで即帰る人って少ないだろうしね。お疲れ、ドクオ、重かった?」
 
('A`)「全然大丈夫、と言いたいところだけど、重かった・・
 
ξ゚⊿゚)ξ「あいつら、容赦なく寝るからね。まあでもひとりになる前に覚えておけてよかったかもね」
 
('A`)「ご指導ありがとうございました」
 
 冬に近づく季節に伴い暖房がつけられているのだろうか。ポカポカと暖かい後部座席でバスに揺られ、僕はツンにそう言った。本来今日のバスケ観戦は予定されておらず、僕は次からひとりでモララーの世話をするつもりだったのだ。
 
 正直なところ、不安でいっぱいだったので、ツンからのモララーを連れてのバスケ観戦のお誘いに僕はいちもにもなく飛びついた。
 
 僕、モララー、ツンの順で長い後部座席に腰掛け、ぬくぬくと路面の状態を感じる。モララーは僕とツンに挟まれ寝ている。静かな時間が流れる。
 
 それはなんとも幸福なひとときだった。
 
ξ゚⊿゚)ξ「――こちらこそ、ありがとう」
 
 
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 ぼんやりとバスに揺れる中で呟くように言われたその言葉を僕はあやうく聞き漏らすところだった。
 
 いや、嘘だ。ツンから僕に発せられたポジティブな内容の発言だ。僕の脳は反射的に覚醒し、僕の意識はツンの口から続く言葉のすべてを丁寧に受け止めていた
 
ξ゚⊿゚)ξ「――正直、結構きつかったのよね。この子は間違いなく可愛いんだけどさ」
 
 ツンにもたれかかるようにして熟睡している3歳児の頭を優しく撫で、ツンはゆっくりとそう言った。伏し目がちになった彼女はほんの少しの疲労感を漂わせ、家族にしか見せないような無防備な雰囲気で僕の視線の先にいる。
 
 まつ毛が長いな、と僕は思った。
 
('A`)「わかるよ。――なんというか、言葉にしたら大したことをやっていないような気にもなっちゃうんだけど、実際大変だし、消耗するよね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「そうそう。何かを削られるのよね」
 
('A`)「ひょっとしたら、スネをかじるって表現は意外と適切なのかもしれない」
 
ξ゚⊿゚)ξ「お金は出してないけどね。早くもあたしのスネはボロボロなのかも」
 
 そう言い、実際のスネ状態を確認するかのようにツンは右足を軽く上げた。その動作がスカートを押し上げ、ストッキングに包まれたツンの足が僕の視界に入ってくる。
 
 これじゃわかんないか、とツンは言って笑った。
 
 
32
 
 バスが揺れた拍子にモララーが小さく唸って身をよじった。
 
 起きるのか?
 
 今のこの何とも言えない満ち足りた時間が崩れることを恐れ、僕は反射的にモララーの頭を撫でる。なんとかなだめて睡眠を持続してもらおうという魂胆だ。ありったけの愛情をかき集めて自分の右手に送り、手の平に触れる小さな頭に念のように塗り込めていく。
 
 僕の祈りがどこかに届いたのか、結局モララーの眠りが大きく阻害されることはなく、彼が再び落ち着いて寝息を立て始めたことを確認すると、僕はツンと顔を見合わせて小さく笑った。
 
 大きくひとつ息を吐く。こういう些細な緊張も、ひとつひとつは微笑ましいエピソードなのだろうが、積もり積もればどこかでストレスとなるのかもしれない。笑い合う対象がなければそれはなおさらのことだろう。
 
 そして気づいた。僕は今、モララーの頭を介してツンと手を繋いだような状態になっている。
 
 直接接してこそいないけれど、確かにそこにツンを感じる。熟睡したモララーのぷくぷくとした頬をつつくとツンに触れているような気持ちにすらなるのだ。
 
('A`)「――ツンはさ、なんでモララーのお世話をしようと思ったの?」
 
 気づくと僕はそう訊いていた。
 
 
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 どうして自分がそんなことを訊いたのか、僕にはよくわからなかった。
 
 事情はそれなりに知っている。ジョルジュが話していたからだ。モララーが生まれ、適切な保育園に入ることができず、親の仕事の事情も相まってジョルジュがバスケを続けるためには誰かがその子の面倒をみなければならなかったからだ。
 
 その筈だ。その話をツンの口から改めて聞きたいと思うのは、やはりそのモチベーションだけで子供の世話という荷物を背負うのは不自然だろうと思うからだろうか?
 
 やはりそこには何らかのモチベーションが他に必要なのではないかと思うのだ。たとえばそう、好きなひとの役に立ちたい、そのひととの特別な接点が欲しい、といったようなモチベーションだ。
 
 だったらどうだというのだろう?
 
 僕はどうしてそんなことを訊いてしまったのだろう?
 
 そんなことを頭にぐるぐると巡らせながら、僕はモララーの頭を撫でてツンの返答をしばらく待った。即答されなかったからである。
 
 ツンはまるで今この場でその言葉を探しているかのようだった。
 
 
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 実際のところはそこまで時間がかかったわけではなかったのかもしれない。やがてツンは口を開いた。
 
ξ゚⊿゚)ξ「う~ん、なんていうか、よく覚えてないのよね。いや、覚えてないっていうのも正確じゃあないんだけども」
 
('A`)「なにそれ、どういうこと?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「結構昔の話でさ、それなりに大変な思いもしたと思ってて、今振り返る当時の気持ちって、なんだか脚色されてる気がするのよね。捏造はしてないつもりだけどさ」
 
('A`)「・・ああ、そういうことね」
 
 思わず笑って僕は頷いた。どうやらツンは誤魔化そうとして考えていたのではなく、真摯な受け答えをしようとして時間をつかっていたようである。そして確かに彼女の言には一理あると僕にも思えた。
 
 しかし同時に、そんなこと言っても仕方ないじゃないかとも思った。だから言った。
 
('A`)「でも、そんなこと言ってもしょうがないよね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「まあそうなんだけどさ。じゃあ今現在、思った通りに話してみるから、あんたもそういう感じで聞いてね」
 
('A`)「了解」
 
 どういう感じだよ、と思いながらも、僕はツンに頷いて見せた。
 
 
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ξ゚⊿゚)ξ「最初は、言っちゃえば軽い気持ちだったんだと思う。あたしは子供好きだし、ジョルジュにもバスケを続けて欲しかったし、できるだけやってみようと思ったの。だめならだめでごめんなさいって感じ」
 
 慣れない赤子の世話はもちろん大変だったが、やってやれないことはなかったのだとツンは言う。
 
ξ゚⊿゚)ξ「でもね、状況が少しずつ変わってきた。産休から明けた当初、おばさんはちょっと特殊な育休制度みたいな職場の育児支援利用しながら働いていて、そのお手伝いをあたしがやる、みたいな感じだったんだけど、途中からその仕事が忙しくなってきたの」
 
 充実してるみたいだった、とジョルジュのお母さんの事情を語るツンの姿に恨みがましいところは見られない。しかし、事実として、ツンへの子育て負担は増加する一方だったらしい。
 
('A`)「なんだかひどい母親のように聞こえるな」
 
ξ゚⊿゚)ξ「本人をよく知らないとそうかもね。あたしはジョルジュとずっと昔から一緒だし、おばさんとも仲良かったから、頼られるのにあまり悪い気しないのよ。たぶんジョルジュもそうなんだと思う。むしろ応援したくなるっていうかさ」
 
 ツンは笑ってそう言った。
 
 
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ξ゚⊿゚)ξ「まあでも正直しんどかった。特に幼稚園に通い出してからはおばさんフルタイムで働くようになっちゃって、送り迎えとその後のケアを誰かがしなければならなくなったのよ。さすがに毎日あたしがするってのは無理だし、無理やりこなしたところであたしが風邪でも引いたら詰みなわけだし、もうそろそろダメかもね、なんてジョルジュと話したわ」
 
('A`)「――ジョルジュはバスケ、やめるってなってもよかったのかな?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「口では、バスケなんて別にって言ってたわ」
 
('A`)「ふぅん。ツンは?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「あたしは――正直言ったら嫌だったかも。やっぱりあたしは、ボーラーとしてのジョルジュがどこまでやれるのかを知りたかったし、今も知りたい」
 
 そう言い、少しの疲労感をエッセンスとして加えた小さな笑みを浮かべるツンを、僕は吸い込まれるようにじっと見つめた。
 
 そこに恋心のようなものは本当にないのだろかと、僕はどうしても勘繰ってしまうのだった。ジョルジュがそれを否定したからといってツンもそうだとは限らない。
 
ξ゚⊿゚)ξ「・・何?」
 
 その魅力的な雰囲気のツンに訊かれた僕は、思わず口に出していた。
 
('A`)「ツンは本当にジョルジュと付き合っていないの?」
 
 
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 しかし、僕の言葉がその耳に届くなり、ツンは吹き出して笑い始めたのだった。
 
ξ゚⊿゚)ξ「ちょっと何それ、誰が言ってたの?」
 
('A`)「え・・ジョルジュだけど」
 
ξ゚ー゚)ξ「本人ソースか。それじゃあしょうがない、本当のことを教えてあげよう」
 
(;'A`)「本当のこと・・?」
 
 僕の背中に冷たいものが流れる。凝視して次の言葉を待つ僕を、やはりツンは笑い飛ばした。
 
ξ゚ー゚)ξ「うは、何その顔?」
 
(;'A`)「だって本当のことを言うと言うからさ」
 
ξ゚ー゚)ξ「ふふ。それじゃあ本当のところはね、あたしとジョルジュは付き合ってないわ。付き合ったこともないし、これから付き合うこともたぶんないでしょうね。ジョルジュが何て言ったか知らないけど、あたしにとってジョルジュはそういう対象じゃあないの」
 
 寝ているモララーの頭を撫で、ツンはあっけらかんとそう言った。
 
 僕は思わずその顔を見返す。
 
 
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('A`)「・・そうなんだ?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。確かにバスケットボール選手としてのジョルジュは好きだし、最大限のサポートはするけど、それだけ」
 
('A`)「それだけ、ね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「なによ」
 
('A`)「なんでもないよ」
 
 僕はモララーの頭を撫でてそう言った。
 
 両側から頭を撫でられる3歳児は一貫して熟睡している。『めぞん高岡』の近くでバスから降りるまでの間、僕とツンはしばらく黙ってその滑らかな感触をそれぞれ静かに味わった。
 
 なおも寝入っている完全脱力した子供を僕は何とか部屋まで担ぎ上げ、布団に寝かせる。ツンがお出かけの後片付けをしている間に僕はお茶を淹れることにした。
 
('A`)「・・やれやれ、ようやく落ち着けるかな」
 
ξ゚⊿゚)ξ「お疲れさま。お茶ありがとう」
 
 これであとは彼らの母の帰りを待つだけである。夕食の用意はいらないと言われており、僕たちにはゆっくりとお茶を飲む時間があった。
 
 
39
 
ξ゚⊿゚)ξ「・・そういえば、あんたはいつまでこのお手伝いを続けるの?」
 
 それはお茶の席での何気ない質問だったが、ツンに訊かれた僕はハッとした。まったく考えていなかったのだ。
 
('A`)「――それは考えてなかったな」
 
ξ゚⊿゚)ξ「なにそれ、嘘でしょ」
 
('A`)「いや本当に。なんというか、意外な質問だった」
 
ξ゚⊿゚)ξ「マジで?」
 
('A`)「マジまじ。そういやそうだな、決めてなかったな。僕に子育て能力がないか、姉に止められたら終わりということだったけど、自分の意思でどこまで続けるかというのは盲点だった」
 
ξ;゚⊿゚)ξ「あんたバカなんじゃないの?」
 
('A`)「そうかもしれない」
 
 小さく笑ってお茶をすすり、僕はツンにそう言った。
 
 
40
 
 考えてみれば、現状、僕にはこの労働の対価が存在しない状態である。
 
 僕とツンとハインの内、ツンにはバスケットボールプレイヤーとしてのあらゆる努力を続けるという対価が、ハインには絵のモデルとなり肉体関係を保つという対価が、本当にそれは対価と言えるのかという疑問を無視すればそれぞれ支払われている。
 
 しかし、僕のは賭けの代償だ。そこに拘束力があると言い張ることは不可能ではないかもしれないが、僕の気持ちひとつで反故するのは十分可能なことだろう。
 
 それを、僕にどこまで続けるつもりがあるのかは、なるほどツンにとっては是非とも知っておきたいことだと思える。僕は頷いてお茶を飲み干した。
 
ξ゚⊿゚)ξ「うあぁ~失敗した! なあなあでずっとやらせればよかったのね!」
 
 煽るような口調で大袈裟に嘆くツンを眺め、僕は肩をすくめて見せた。
 
('A`)「それが賢かったかもね。でもまあすぐには辞めないよ。せっかくひとりでやれるように指導していただけたのだし、僕が手伝うことでツンが助かると言うならなおさらね」
 
ξ゚⊿゚)ξ「たすかる」
 
('A`)「そのままかよ」
 
 
41
 
 アライグマじゃないんだから、と言いながら、僕は頭にまったく違うことを思い描いていた。ちょっと対価を得てみようと思っていたのだ。
 
 だから僕はきわめて自然な口調になるように、意識して何でもないことのように言ってみた。
 
('A`)「それじゃあ僕が辞めづらいように、ひとつツンのことを教えてよ」
 
ξ゚⊿゚)ξ「あたしのこと? 別に訊いたら答えてあげるけど、それで辞めづらくなるわけじゃないでしょ」
 
('A`)「いやぁ、面白い話が聞けるんだったら、僕も辞められないというものだろう」
 
ξ゚⊿゚)ξ「ふうん、それじゃあご自由に。言っとくけど、訊かれても答えられないものは、どうやったって無理なんだからね」
 
 緊張感なくお茶を飲んでいるツンを眺めて僕は思う。この女の子は自分の情報の価値を低く見積りすぎているのではないだろうか?
 
 ある特定の種類の人間にとって、その気持ちを確かめられるというならば、向こう岸の見えない崖から全力で飛び立つような勇気を振り絞る価値があるというものだ。
 
 あくまで彼女に気づかれないよう、こっそり静かに覚悟を決め、僕は努めてゆっくり訊くことにした。
 
('A`)「・・ツンには誰か、好きな人がいるの?」
 
 
42
 
 その質問を受けた途端、ツンはお茶を口に運ぶ手を止めて、ゆっくりとこちらを見てニヤリと笑った。
 
ξ゚ー゚)ξ「・・ああ、そういうこと?」
 
('A`)「良い対価だろ?」
 
ξ゚ー゚)ξ「確かにこれは、普通には訊けない良い質問ね」
 
 肩をすくめてそう言うと、いいわ、教えてあげる、とツンは続けた。
 
ξ゚⊿゚)ξ「それに、ちょうどいいのかも」
 
(;'A`)「ちょうどいい!?」
 
 カウンターを食らったような心境だ。知っている日本語のこの場合に意味するところに確証が得られず、僕はオウム返しにそう言った。
 
 すると、ツンは黙って止まっていた手を動かし、ゆっくりとお茶をひと口飲んだ。僕はその所作をじっと見つめ、やがて口に湧いてきた唾を嚥下した。
 
 
43
 
 そしてツンは言葉を続けた。
 
 それは僕にとって聞きたくなかったような、しかし是非とも聞いておかなければならない言葉だった。
 
ξ゚ー゚)ξ「――あたし、内藤のことが好きなんだ」
 
 僕の目を見てそう言ったツンは、言い終わるや否や、僕から目を逸らして恥ずかしそうにはにかんで笑ったのだった。
 
ξ*゚⊿゚)ξ「ひゅう~、言っちゃった言っちゃった!」
 
 内緒だからね、と付け加えるツンを見てられず、僕は空の湯飲みを手元で遊ぶ。壁面に付着したなけなしの1滴の水分をすするようにして摂取する。
 
ξ゚⊿゚)ξ「ちょっとわかった!? 絶対誰にも言わないでよね、振りじゃなくて本当に」
 
 何度も念を押してくるツンに僕は頷く。声に出して約束をする。
 
('A`)「わかった、誰にも言わないよ」
 
 言う筈がないじゃないかと僕は思う。このまま彼女の想いが誰にも届かず、何らかの形で解消され、僕がツンを口説ける状況になれば良いとさえ思っているのだからだ
 
 誰にも言うつもりはないのだけれど、同時に誰かに聞いて欲しかったのだと言うツンにとって、この場の僕の質問はまさにちょうどよかったのだろう。明るい顔で話すツンの表情は輝いている。僕はその姿を眩しく思い、ゆっくりと湯呑みを口へと運ぶ。 
 
 とっくの昔にそれは空になっていた。
 
 
 
1.('A`)の話 完 つづく