('A`)の話のようです1-1.転校初日

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1-1.転校初日

 

 

 僕は128点差で負けていた。
 
 と書くとボロ負けしている印象を受けるかもしれないが、実際貞子さんと僕の間に横たわる点差は128点だった。『逆境ナイン』よりひどい点差だ。数少ない救いのひとつは、この競技が野球ではないということだろう。
 
 貞子さんがスローライン上に立っている。
 
 手足が長く、すらりとしている。一目でバランスの良さがわかる構えだ。かつてはじめてこの一連の動作を目にした時も、何も知らずとも彼女が優れたプレイヤーなのだろうということが僕にはすぐに見て取れた。単純に美しいのだ。
 
 ダーツだ。貞子さんの右手には21gのタングステンの塊が握られている。そして、そのバランスの良い構えから、引き絞られた右手が振られ、小さな矢が宙へと放たれる。
 
 一瞬の静寂。そして鈍い電子音。貞子さんの放ったダーツは標的をわずかに外れ、点の与えられないミスショットとなっていた。
 
川д川「んがッ! 外れた!」
 
 前のめりになってダーツの行方を見届けた貞子さんは、バランスの良さを放棄し、大げさに頭を抱えて声を上げた。
 
 
2
 
川 ゚ -゚)「だらしがないねぇ」
 
 その言葉以上にだらしなくソファに寝転がったクーが煽るようにそう言った。
 
川д川「くそぅ、6ダブは得意なんだけどな」
 
川 ゚ -゚)「ま、シングルに入るよりは良かったじゃない」
 
 まあね、と貞子さんは右手の親指・人差し指・中指の3本を擦り合わせるようにして眺めながら、2メートルちょっとの距離を歩き、ボードに刺さった3本のダーツを回収した。
 
川 ゚ -゚)「どうするドクオ、勝っちゃうか?」
 
('A`)「140点残ってんだよ。無理むり」
 
川 ゚ -゚)「ブル、ブル、20ダブルで140じゃん。簡単かんたん。わたしはてっきりそのために点を整えたのかとばかり思っていたよ
 
川д川「ま、ブル狙わないならどこに投げるのって話だしね」
 
('A`)「それはまあ確かに」
 
 3本の矢を左手に束ね、僕はスローラインに右足を乗せた。
 
 
3
 
 スローライン上からダーツ盤をまっすぐ睨む。20等分された大きなピザのような見てくれだ。そのそれぞれのピースには1から20までの点数が振り分けられていて、貞子さんが先ほど狙った6のピースは時計でいうところの3時の方向に位置している。
 
 そしてそのピザの耳のような位置にはダブルラインと呼ばれる区間が走っている。そこに当たるとピースの該当点数の2倍が加算されるというわけだ。貞子さんが先ほど狙ったのは6ダブル、12点の得点である。
 
 どうしてそのような中途半端な得点を狙うのかというと、僕たちが興じているゲームが通称ゼロワンと呼ばれる、ある決まった点数から引き算を重ねていって、ぴったりゼロを目指すものだからである。貞子さんの残点は12点だ。そして、12点のピースではなく6点のダブルを狙うのはダブルアウトと呼ばれる、最後のスローはダブルラインを狙うべきだというダーツプレイヤーたちの矜持が彼女の中にもあるからだろう。
 
 ピザの耳を狙った貞子さんのダーツは外側に外れ、点数にならないミスショットとなった。これが内側に外れていれば残り6点となり、ゼロには近づくわけだけれども、3点ダブルを狙うのは6点ダブルを狙うより一般的に難しい。
 
 だから先ほどのクーの、3本目の矢で6シングルに当たるくらいなら外れた方がマシ、という指摘は概ね正しいといえるだろう。
 
 そのようなことをぼんやりと頭に遊ばせながら、僕は僕の構えを作っていった。
 
 
4
 
 足の位置から膝、腰、体幹部、と意識を下から上に登らせていく。
 
 大きくひとつ息を吐く。肘の位置。角度。今回のスローの目標となる円盤の中心部、ブルと呼ばれる二重丸を強く睨み、その視線の直線上にダーツを置くようにして僕の構えは完成していく。
 
 構えた腕をまっすぐに引き、弓矢のようにダーツを放つ。20gちょっとのタングステンの塊が飛んでいく。その飛ぶ先には20等分されたピザのような円盤が待っている。
 
 リリース位置のダーツとブルとを結ぶ、重力を加味してイメージした放物線上を小さな矢が飛ぶ。そして刺さった。
 
 ブルに命中したことを示す電子音が高く鳴り、何とも言えない高揚感が僕の口元を緩ませるのがわかる。僕の残点140点から50点が引かれる。
 
川д川「マジかよ入るんじゃん~」
 
 大の字になってソファに倒れ込む貞子さんの姿が目に入った。タラバガニみたいだな、と僕は思う。その丈の短い部屋着から伸びる長い手足をじっくり眺めていたい気もするが、僕の左手には2本のダーツが依然として残っている。
 
 2投目の狙いもそのままブルだ。スローに使った右手と、魅力的な脱力具合を見せる貞子さんに向けた眼球以外のあらゆる機能を僕はそのままスローライン上に残していた。
 
 
5
 
 大きくひとつ息を吐く。
 
 先ほどブルに入れられたということは、その1投目の動作をそっくりそのまま再現すれば、再びブルに入れられるということだ。僕たちダーツプレイヤーは狙った場所にダーツを突き刺すことをこのように“入れる”と表現する。
 
('A`)(おいお~い 入れて欲しいか? ブルちゃんよォ――)
 
 そんなお姉さま方に聞かせることは到底できない低俗な言葉を頭で呟き、僕は再び集中の海へとダイブする。
 
 一連の動作からダーツを放つ。静寂。そしてダーツが盤へと刺さる衝撃と高い電子音。僕が今回どれほど正確なスローができたかは、ブルへ刺さったままの1投目の矢に2投目がガシャリと音を立てて当たったことからもわかるだろう。
 
 指に手ごたえが残っている。たまらない感覚だった。
 
川д川「うおお~!」
 
川 ゚ -゚)「やるやん」
 
('∀`)「ウッヒョー! きたんちゃうコレ!?」
 
 
6
 
 僕は思わず声を出してはしゃいでしまっていた。
 
 3本すべてをブルに投げ入れる“ハットトリックの経験も僕には何度かあるけれど、この勝負のタイミング、ここぞというところでイメージ通りのスローができるというのは言いようのない快感を僕に与える。
 
('A`)「これが全能感というやつか・・神を感じる」
 
川 ゚ -゚)「いいからさっさと3投目を投げろよ」
 
('A`)「アッハイ」
 
 僕ら3人ではじめたゼロワンゲームから早々に“上がり”となり、残る僕と貞子さんのプレイをだらりと眺めていたクーのそんな発言に、僕の全能感がシュワシュワとしぼんでいくのが如実に感じられた。なんとも儚いものである。
 
 それでも僕は自分を奮い立たせ、スローラインで構えを作る必要があった。こうして彼女たちとダーツをするようになってはじめて、ちゃんとした対戦形式で部分的にとはいえ勝利を収めることになるかもしれないからだ。
 
川 ゚ -゚)「あれ? 一度も勝ったことなかったっけ? ほんとに一度も?」
 
('A`)「ないよ。こういうのは、勝ってる側はあまり意識をしないんだ」
 
 
7
 
川 ゚ -゚)「そんなもんかね」
 
川д川「まあでも確かに、ドクオくんに負けた記憶は私にはないな」
 
川 ゚ -゚)「確かにそうだな、わたしもドクオに負けた記憶はない」
 
('A`)「だから勝ったことないって言ってるじゃんか! しつこいなあもう」
 
 こんなんじゃ集中できやしない、と僕がプリプリ怒ってみせると、クーがにやりと笑ったのが視界の端に引っかかった。ろくでもないことを思いついた表情だ。
 
川 ゚ -゚)「それじゃあこのスローを見事に沈めることができたなら、ここはひとつ、何かご褒美でもあげるべきなんじゃあないかな?」
 
('A`)「ゴホウビ?」
 
川 ゚ -゚)「そうそう。たとえば、貞子がおっぱい見せてやるとかさ」
 
('A`)「オッパイ!?」
 
川;д川「いやなんでだよ! 私は関係ないだろ!」
 
川 ゚ -゚)「だって負けるの貞子じゃん」
 
川д川「関係あったわ」
 
 
8
 
川;д川「いやそうじゃなくてね! おっぱいとかそういうのはよくないよ」
 
川 ゚ -゚)「でも青少年へのお姉さんからのご褒美はおっぱいと相場が決まっているだろう?」
 
川;д川「そんな相場ねえよ! そもそもこいつの姉はお前だろ!」
 
川 ゚ -゚)「だから、姉が弟におっぱいというのも問題だからね、やっぱり貞子のおっぱいがふさわしいんじゃないかなと思うわけだよ」
 
川;д川「いやぁどうかな!? そもそも高校生にそういうことするのって犯罪じゃないの?」
 
川 ゚ -゚)「犯罪性か・・いや、性犯罪だから、性犯罪性か? 回文みたいになるな。まあ何にせよ、私たちも一応同じく未成年だからなァ」
 
川д川「そのわりにはお酒を飲みまくっておりますけどね」
 
川 ゚ -゚)「飲酒中は一時的に成年化するんだ。フリップ・フロップのような現象と思っていただければ概ね正しい理解ができると思う」
 
川д川「概ねの範囲がでかすぎる」
 
 
9
 
 姉とその友人はよくわからない単語を交えながら何やらぎゃあぎゃあ言っていた。
 
 僕はというと、不意に聞こえたおっぱいという単語に本能レベルで反応してはしまったものの、この場で貞子さんのおっぱいを拝めることなど実際のところあり得ないだろうと思ってしまうので、それ以上のヒートアップはできなかったのだった。
 
('A`)(しかし、この人たちの会話にはよくおっぱいという単語が出てくるなァ)
 
 と眺めるくらいしか僕にできることはない。
 
川 ゚ -゚)「見ろよ、貞子。この少年の冷めた目を。大人に期待を裏切られつづけ、何も信用しなくなっている。野良猫のようではないか」
 
川д川「いやぁ、なんともアホらしいやり取りだと呆れちゃってるだけじゃあないかな」
 
('A`)「あのう、もう投げても構いませんかね・・?」
 
川 ゚ -゚)「このむっつりスケベ! 好きにしなさい!」
 
川д川「さっきは早く投げろと言ってたけどね」
 
川 ゚ -゚)「せめて、この1投におっぱいがかかってると思って投げなさい!」
 
('A`)「それはどういう状況なんだよ」
 
 
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 何はともあれ、僕には3投目を投げる必要があった。改めてスローラインの上に立つ。投射前のルーティンをこなす。40点獲得の標的となる、12時の方向のピザの耳を強く睨む。
 
 おっぱい。
 
 ダーツの通る放物線をイメージし、そこに乗せることを意識しながら腕を振る。自然と指からダーツが離れる。離れなかった。
 
('A`)「アッー!」
 
 投げる瞬間、指がわずかに引っかかり、指から離れた瞬間ハッキリとわかるミスショットとなったのだった
 
 僕は失敗を確信する。問題は、どの程度の失敗となったかだ。
 
 残点は40点。このゼロワンというゲームは得点を引き算の形で積んでいき、最終的にぴったりゼロ点となることを目指すものだ。大事なのは、ぴったりゼロでなければならないというところである。
 
 もしはみ出た場合はどうなるか? 即座にそのターンは失敗となり、パスされその回はなかったことになってしまう。
 
 
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 ポゥーン
 
 と高い電子音。いつもはそれまでのあらゆる苦労を良き思い出へと昇華させてくれる、達成感をダイレクトに刺激する音なのだが、今回ばかりは僕に絶望をもたらす音となった。
 
 ダーツ盤をまっすぐ上った最上位、時計でいうところの12時の方向に僕の目指す20ダブルは存在している。そこを狙って放ったダーツは、リリースのタイミングで指にひっかかり、まっすぐ下へと軌道を逸れた。
 
 そこにはボードのど真ん中、ブルと呼ばれる二重丸がある。
 
 この高い電子音はブルを射抜いたことを称える音だ。
 
 僕はこうして3本連続でブルに入れる、通称“ハットトリックを達成した。合計して大量150点の得点だ。僕の残りは140点。はみ出ている!
 
 僕のゼロワンゲームはバーストと呼ばれるその回がなかったことになる失敗となった。ハットトリック! と偉業を称えるエフェクトが走った後、パリンと画面が割れるような演出と共に僕の失敗が宣告される。クーも貞子さんも爆笑していた。
 
川 ゚ -゚)「いやァ面白い。ハットトリックでバーストとはまた粋なことを」
 
 ひとしきり笑った後、やや落ち着いたクーはそう言った。
 
 
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川д川「はじめて見た! ハットトリックでバーストするとこんな感じになるんだねぇ」
 
('A`)「うぅ・・あまりハットトリックでバーストを連呼しないでいただきたい」
 
川 ゚ -゚)「やーいやーい、ハットトリックでバースト」
 
川д川「計算上は0点獲得~」
 
('A`)「そうか、僕はまた140点からの再開になるのか」
 
川 ゚ -゚)「次もハットトリックしたら伝説になれるぞ。いやいや、トンエイティというのもいいな。うはー夢がひろがりんぐ」
 
('A`)「――」
 
 トンエイティとは3本すべてを20トリプルに入れることで、ハットトリックよりはるかに難度の高いものとなる。上級者でもない限り、ゼロワンやカウントアップで普通狙うことはないからだ。もちろん僕はこれまでのダーツ人生でこれを達成したことはない。
 
 黙ってボードからダーツを抜いていると、貞子さんがソファから立ち上がった。
 
川д川「ドクオくんのお手並み拝見といきたいとこだけど、その機会はまたにしよう」
 
 そして貞子さんはバランスの良いフォームでスローラインにすらりと立ち、あっさりと6ダブルにダーツを投げ刺してこのゲームを終了させた
 
 
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川д川「いぇい!」
 
川 ゚ -゚)「お見事。締まりのいい女はわたしは好きだよ」
 
('A`)「ぐぅ」
 
川д川「それはぐうの音? はじめて聞いた」
 
川 ゚ -゚)「貞子っぱいを逃して残念だったな」
 
('A`)(さだこっぱい・・?)
 
 おっぱい・おぶ・貞子さんということなのか? そんな僕の疑問は声に出されることなく消え去っていく。何事にも有効期限のようなものがあるのだ。
 
 夜も遅くなってきていて日付が変わろうとしていた。もうすぐ9月1日となる。高校生である僕には2学期が待っている。
 
 そんなことを考え壁掛けの時計を眺めていると、クーがからかうように声をかけてきた。
 
川 ゚ -゚)「おお、もうすぐ日が変わる。どっくん転校初日じゃないか」
 
 
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 いかにも僕は転校生だった。1ヶ月ほど前から引っ越してきておりこの家の周辺にはあまり新鮮味がないのだが、新しい学校に登校するとあってはそうも言っていられない。
 
川д川「おー、そういや転校生だったね。どこ行くの?」
 
('A`)「したらば学園です」
 
川д川「おお、我が母校」
 
('A`)「そうなんですか?」
 
川д川「そうなんだよ。それじゃあ私はドクオくんの先輩ということになるね」
 
川 ゚ -゚)「貞子パイセンちぃーす。おっぱい見せてくださいよ」
 
川д川「どうしてクーは私のおっぱいに執着しているのだろうね?
 
('A`)「それは僕にもわかりません」
 
川д川「それはさておき、転校でシタガク入れるなんて、ドクオくんは結構賢いのねぇ」
 
 
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('A`)「そうなんですか?」
 
川д川「そうなのよ。小学校とか中学からエスカレーターするのはそんなに難しくないんだけど、高校からとか、特に編入なんていうのは結構ハードル高いんじゃなかったかな。私の代の編入生は東大行ったよ」
 
('A`)「おおう、わかりやすい高学歴」
 
川 ゚ -゚)「情報提供の形をとったカシコ自慢か?」
 
川д川「いや私は中学からだから。そんなに難しくはなかったよ」
 
川 ゚ -゚)「シタガクなんて略しちゃうあたりも鼻につく」
 
川д川「本気で言っているのだとしたら、それはもうあなたのコンプレックスがそう思わせているんじゃないの?」
 
川 ゚ -゚)「これは痛いところをつかれましたな、ハハ! おいドクオ! コンプレックスだってよ!」
 
('A`)「僕を巻き込んで事故るなよ・・」
 
 よくわからない絡み方をしている姉を、僕と貞子さんは共同してやりすごすことにした。
 
 
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 やがてクーは平常運転を取り戻し、僕たちは3人でクリケットに興じた。ダーツの遊び方の一種で、陣取りの要素を入れたゲームだ。僕はそこでもやはりクーや貞子さんには勝てなかった。
 
 それも仕方のないことだろう。僕がダーツをはじめたのはここVIP市に引っ越してきてからのことであり、4月からはじまったキャンパスライフの大部分をその練習につぎ込んできた彼女たちとの間には、いかんともしがたい経験値の差があるのだ。
 
 こんな筈ではなかった。
 
 この夏休みを思い返し、僕はしみじみとそう思う。
 
 早めに引っ越し先に落ち着いて、なんならアルバイトでもはじめようかと思っていたのだ。それがこんな集中力と鍛錬を要するどちらかというと素朴な面白みの競技にハマり、アルバイトの口など探しもせず、だらしない部屋着で切磋琢磨しあうお姉さま方ふたりと長時間を共にすることになるとは!
 
 はっきりいって、最高だった。
 
川 ゚ -゚)「いい子は早く寝るんだぞう」
 
 そんなクーの茶化した言葉を背に受けながら、僕はダーツを投げてブルへと入れた。
 
 
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○○○
 
 転校生の義務として教壇に立っての自己紹介を済ませた僕は、担任教師に促されて指定の席へと着席した。悪目立ちを避けるために趣味がダーツだとは言うことはせず、ごくごく無難な自己紹介であったことだろう。僕がそれを聞く側だったら5分で内容を忘れる自信がある。
 
 しかしながら、誰もがそうだとは限らない。僕が着席した瞬間、前の席の女の子がぐいんとこちらを向いたのだ。カールがかったツインテールが物理法則に従い揺れる。勝ち気そうな大きな瞳がまっすぐ僕に向けられていた。
 
ξ゚⊿゚)ξ「はじめまして、ドクオくん。あたしはツン。訊きたいことがあるけど誰に訊いたらいいかわかんない、みたいなことがあったら、あたしに訊いてくれてもいいわよ」
 
('A`)「う、うん・・ありがとう」
 
 正直なところ面食らったが、とてもありがたい申し出だった。コミュニケーション能力に難ありを自負する僕としては非常に助かることである。何か気の利いた一言でも思い浮かばないだろうかと脳の引き出しを漁っていると、隣の席の男がツンをからかうような発言をした。
 
( ^ω^)「さっすがツンは優しいお~」
 
ξ///)ξ「ば、ばか! 学級委員だから声かけてあげてるだけなんだからね!」
 
 
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( ^ω^)「僕は内藤ホライゾン。ブーンと呼ばれることが多いお。よろしくだお、ドクオくん」
 
('A`)「よろしく、ええと、ブーンくん?」
 
( ^ω^)「ブーンでいいお」
 
('A`)「わかったよ、ブーン。これからよろしく」
 
( ^ω^)「おっおっ、僕もドクオと呼ばせてもらうお」
 
 ブーンと呼ばれるらしいこの男はなんとも柔らかい表情をしていた今日はじめて会った転校生と学級委員との会話に自然と入ってきてコミュニケーションを取ってくるとは、僕にはとても真似できない社交性である。何しろ、僕とツンの間に会話が成立していたかどうかはかなり怪しいものだったのだ。
 
( ´∀`)「それじゃあそろそろ静かにするモナ。2学期開始ということで、早速だけど実力テストをするモナよ~」
 
 おそらく予定として全員わかっていたことだろう、休み明けの試験の実施にクラス中から不満の声が発せられる。しかしこれはほとんど予定調和的に騒いでいるだけなのかもしれない。ぶうぶう言いながらも生徒たちは机の上をテスト仕様に片付けていっているからだ。
 
('A`)(それにしても、この学校には妙な語尾で話す男しかいないのか・・?)
 
 僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
 
 
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 この度大学教授になることができた父と看護師の母、そして薬学部に進学した姉という、どちらかというと学力が高い部類に入るのだろう家庭環境で現在暮らしているからだろうか、僕にとって、学校の勉強はあまり抵抗がないものだった。
 
 課せられる試験も特に負担には思わない。トップクラスの成績を残したいという情熱はサラサラないのだが、平均より良いくらいの学力を維持してルール内で適当に過ごしていれば面倒ごとが少ないのだ。仮に僕の学習態度が真面目なものに見えるとするならば、それはおそらく怠惰な心が生んだ真面目さだろう。
 
('A`)(さっさとはじめてくれないものかね)
 
 避けられない負担であればさっさと処理する方が絶対に楽だ。クラス中の机の上が片付いているにもかかわらず実力テストとやらの配布をはじめようとしないモナー先生の様子を僕は眺めた。
 
( ´∀`)「う~ん、今日はいつもより遅いモナ。ツン、長岡が今日遅くなりそうとか聞いているモナ?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「聞いてないです。そろそろ来るんじゃないですか? それか、ジョルジュ以外はもうはじめといてもいいと思いますけど」
 
( ´∀`)「それもそうモナ。そうだな、問題用紙と回答用紙を配布して、それでも来なかったらはじめちゃうモナ」
 
 
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 学級委員と担任教師の会話から察するに、あるひとりの生徒の都合(おそらく遅刻)で僕たち全員の試験開始が保留されていたらしい。なんとも迷惑な話である。
 
 僕の常識ではありえないことなのだけれど、したらば学園では当たり前のことなのだろうか?
 
('A`)(そういや何でも訊いてこい、みたいなことを言われたな・・)
 
 僕は前の席に座っているツンの後頭部に目をやる。地毛なのだろうか、完全な金髪がツインテールに縛られており、すっきりとした分け目がうなじのあたりまで通っている。制服の襟で首元が見えないことを僕は惜しく思った。
 
 問題用紙が前の席から回ってくる。つまり、僕はツンからそれを受け取った。2セットだ。
 
ξ゚⊿゚)ξ「あんたの後ろがジョルジュの席だから、1枚そっちに置いといて」
 
('A`)「了解。遅れてくるんだよね?」
 
ξ゚⊿゚)ξ「そうよ。基本的に毎日遅れてくるから気にしないでいいわ」
 
 いや気になるだろ、と僕は思った。
 
 
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 とはいえ問題用紙の次には回答用紙が配布されはじめていたので、ツンはすぐに前を向いてそれを受け取る準備を取った。僕との会話は終了だ。
 
 なんとなく隣の席に目をやると、柔和な表情の男と目が合った。ブーンはやはり柔らかい笑顔で頷いて見せる。
 
( ^ω^)「ま、実際気にしたところでしょうがないお」
 
('A`)「まあそうなんだろうけどさ。なんというか、カルチャーショックだ」
 
( ^ω^)「ドクオは転校してくるまではどこに通っていたんだお?
 
('A`)「普通の公立高校だよ。私立ってどこもこんなにフリーダムなのか?」
 
( ^ω^)「僕も他の学校のことは知らないけど、たぶんシタガクは特殊な部類に入ると思うお。結果を残せばある程度のことは許容されるというか」
 
('A`)「結果ね」
 
 どうやらジョルジュという名の男は平常的に遅刻をしても許されるだけの何らかの貢献を学校に対して果たしているらしい。
 
 それは教育機関としてどうなのだ、という気もするが、かえって社会勉強のためには良いのかもしれないとも僕は思った。世界は理不尽に満ちているからだ。それに私立の学校なのだから、学校側には自分でルールを作るための十分な権利が有り余っていることだろう。
 
 
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 要するに、僕は考えることを諦めた。元々ジョルジュという男に大きな興味があるわけでもないのだ。単純にどうでもいい。
 
 ただ、僕の常識からすると想像しづらい、彼が学校に遅刻する権利をもっている様子であることと、ツンのジョルジュの名を呼ぶ口調に親しさが感じられて、心が少々ささくれ立ったというだけの話である。
 
 そんなまだ見ぬクラスメイトの事情よりも、続けて回答用紙を配るためにもう一度ツンがこちらを向くであろうことの方が僕にとって重要だった。そして、机に出していたシャープペンシルの尻を何気なく叩いたところ、芯がろくに残っていないことが判明したのではっきり言ってそれどころではなくなった。
 
 回答用紙をツンから2部受け取り、そのうちひとつを後ろの空席に置き、筆箱からシャーペンの芯を取り出し補充した。間もなく試験がはじまることだろう。
 
('A`)(この緊張感が溶け込んだような雰囲気は正直、それほど嫌いじゃないんだよなぁ)
 
 試験開始の合図を待ちながら、頬杖をついて僕はクラス中を見渡した。それなりの進学校であるしたらば学園の生徒たちは、口では文句を言いながらも従順に試験の仕度を済ませ、少なくともある程度の集中力で試験に臨もうとしている。真面目だ。
 
 試験開始が差し迫っている。モナー先生がそれを宣告しようとした瞬間、開いたのは先生の口ではなく教室のドアだった。
 
 
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( ゚∀゚)「うひょー、ギリギリセーフか!?」
 
 それは立派な眉毛をした男だった。完全に遅刻をしているにも関わらず、さほど悪びれた様子でもなくズカズカと教室に入ってくる。
 
( ´∀`)「ギリギリところか思いっきりアウトモナ。さっさと席について、試験をはじめることにするモナよ」
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( ゚∀゚)「アウトでしたか! こりゃ失礼。しかし、そうかテストなら、もっと遅れてくればよかったな! ハハ!」
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( ゚∀゚)「――ところで、君は誰だい?」
 
 男は僕を見つめてそう言った。僕は彼を見つめ返す。はっきり言って気に入らない態度だった。
 
 僕は転校性のたしなみとしての自己紹介はもうとっくに済ませたのだ。そこにいなかったのは勝手に遅刻をしてきたこの男の責任であって彼のためにもう一度自己紹介をやり直さなければならない理屈はどこにもないように僕には思える。
 
 少しの間沈黙が僕らの間に横たわったが、すぐにそれは解消された。僕の前の席にはお世話スキルの高い学級委員が座っているのだ。
 
ξ゚⊿゚)ξ「この子はドクオくん。転校生よ。ドクオくん、こいつがジョルジュ。ジョルジュはさっさと座りなさい」
 
 
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( ゚∀゚)「転校生ね! どうりで知らない顔だと思ったわ。おれはジョルジュ長岡だ、よろしくな」
 
('A`)「・・どうも。ドクオです、よろしく」
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( ゚∀゚)「はーやれやれ! それじゃあ先生、さっさとテストとやらをはじめましょうや」
 
( ´∀`)「何を隠そう、お前待ちモナ。さっさと筆記用具を鞄から出して用意するモナ」
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( ゚∀゚)「筆記用具ね! 持ってきてねぇ! ハハ!」
 
ξ゚⊿゚)ξ「うるさいわねぇ、ほらこれ使いなさい」
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( ゚∀゚)「サンキューツン! ありがとな!」
 
 僕越しにツンからシャーペンを受け取ったジョルジュは重複表現で礼を言う。まったくもう、と手のかかる弟の面倒をみるお姉ちゃんのような態度で前を向くツンは、このようなやり取りにとても慣れているように僕には見える。
 
 違う。ツンが慣れているのではない。クラス全体が慣れているのだ。
 
 
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( ´∀`)「それじゃあ試験を開始するモナ。長岡待ちで時間が押しているけど、先生も、きっとお前らも早く終わりたいと思っていると思うから、時間の延長はとりあえずしないモナ。間に合わない~ってやつがいたら延長することにしてもいいから、定刻の5分前に訊く時教えてくれモナ!」
 
 おそらくこのような処置を取るのもはじめてではないのだろう。実力テストの開催が告げられたときにはあれほど反発していたクラスが従順な態度でモナー先生の取り決めに従っている。
 
 実際のところ、僕にも反対意見はなかった。延長に延長を重ねて玉突き的に下校時間が遅くなる方が僕にとっては嫌なことである。僕にはダーツの練習をする時間やアルバイト先を探す時間が必要なのだ。
 
 試験の開始が宣告され、僕は机に伏せてある問題用紙と回答用紙を裏返してそれらを眺めた。先日僕に課せられた編入試験と大差ない範囲と難度である。これなら悪い結果にはならないことだろう。
 
('A`)(なんせ、僕はその編入試験に合格してここにいるんだ)
 
 気を取り直して問題に対して集中力を注いでいく。シャープペンシルから芯を出す。
 
 しかしその高めた集中力は、容易に邪魔されることになった。
 
 
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  _ 
( ゚∀゚)「うぉいツン! このシャーペン、芯がほとんど残ってねぇぞ!」
 
 後ろの席からそんな声が発せられたのだ。
 
ξ゚⊿゚)ξ「ないわけじゃないでしょ、この時間終わったら芯あげるから、とりあえずそれで解いてなさい」
  _ 
( ゚∀゚)「いやいや足りなくなったらどうすんだよ! 3教科以上赤点取ったら試合に出れなくなるんだぞ!?」
 
('A`)「うるさいなぁもう・・ほら、これやるから使えよ」
 
 僕はため息をついて後ろの席の男へとシャーペンの芯を2本渡した。そんな反応をされると思っていなかったのか、僕がコミュニケーションに加わってくると思っていなかったのかは知らないが、視界の端に見える表情は驚いたようなものになっていた。
  _ 
( ゚∀゚)「――おう、ありがとよ、転校生」
 
('A`)「どういたしまして」
 
 遅刻魔くん、と続けても良かったのだが、僕の中の冷静な部分がそれを阻止した。彼に対して棘がある発言をする必要はないからだ。たとえ彼が僕の名前をわざわざ呼ばなかったように僕には聞こえたとしても。
 
 ともあれ、これが私立したらば学園バスケ部のエース、ジョルジュ長岡とのファーストコンタクトだった。控えめに言って第一印象は最悪だったわけである。
 
 
 
   つづく